芸術に生きる力を与えられ -トスカニーニ、ゲルギエフ、マックス・パーキンズ

芸術に生きる力を与えられ -トスカニーニ、ゲルギエフ、マックス・パーキンズ

芸術に献身し、芸術に力を吹きこまれる。 本◇A・スコット・バーグ、鈴木主税 訳『名編集者パーキンズ』(草思社文庫)
  • 青澤隆明
    2020.04.26
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 「マーシャ・ダヴェンポートはあるとき指揮者のトスカニーニに、一日がかりの長いリハーサルにどう耐えるのかとたずねたことがある。自分が演奏する作曲家から力づけられるのだと、マエストロは答えた。マックス・パーキンズの場合は、著者たちから力を得ていた。」(A・スコット・バーグ、鈴木主税他訳『名編集者パーキンズ』)

 厚めの本を読むにはよい時期だと思い立ち、ずいぶん前から積んであったマクスウェル・エヴァーツ・パーキンズの伝記を読んだ。アメリカに新しい文学の潮流を起こした作家たちと作品群を、人生を賭けて世に送り出した編集者の本格的な評伝である。日本語訳だと文庫の上下巻で千ページ近くになるが、ぐいぐいと惹きこまれ、夢中で読み進んだ。
 スコット・フィッツジェラルド、アーネスト・ヘミングウェイ、トマス・ウルフを中心として、多彩な小説家や著述家が編集者パーキンズを糸として縦横に織りなされていくさまは圧巻だ。マックス・パーキンズの編集は小説家個々の産みの苦しみを公私にわたって、文学と経済の両面から根強く支えていくもので、文学史上の功績はもちろん、その芯の通った生きざまには圧倒される。
 1978年に書かれたこの本は、2015年にマイケル・グランデージ監督によって『GENIUS』(邦題『ベストセラー 編集者パーキンズに捧ぐ』)のタイトルで映画化された。コリン・ファースがパーキンズ、ジュード・ロウがトマス・ウルフを演じて話題になったので、ご記憶の方もいらっしゃると思うが、ぼくはまだ観ていない。このあと観るのを楽しみにしている。

 文学の話がもっぱらなのは当然だとして、音楽のことがあまり出てこないのは少しさびしいが、先の引用はそのわずかな例外である。唐突にトスカニーニの名が出てきてびっくりしたほどだから。もっとも、上記の3人の小説家との全身全霊の関わりがあまりに強烈で波瀾万丈なので、ぼくが覚えていないだけかもしれない。
 マーシャ・ダヴェンポートはモーツァルトの伝記で名声を博した作家で、後にはパーキンズの支えのもとで小説を書き、『決断の谷』、そして『イーストサイド、ウエストサイド』を世に問うていく。
 
 さて、トスカニーニのその言葉は、かなり多くのクラシックの演奏家にとっての実感だろうと思う。最近も誰かが口にしていたな、とすぐに思い出したのがマリインスキー劇場を率いて昨冬来日したワレリー・ゲルギエフが語っていたことだ。
 どうみてもタフな過密スケジュールで、しかもオペラも含めた大曲を指揮をするのはたいへんではないですか、という記者会見での質問に答えて、指揮をするときは偉大な音楽がエネルギーを与えてくれるのだ、とゲルギエフは言った。天才たちの作品のもつ巨大な力と熱量を帯電できて、鮮やかに体現し得ることが、演奏家の能力や度量というものなのだろう。こうして書くと月並みなことにみえるかもしれないが、そのときゲルギエフがもの静かに話すのを聞いて、ぼくは改めてそう思った。

 指揮者や演奏者、そして編集者と、ぼくたち聴き手や読み手とはそれぞれ役割も強度も要求されるものも違うだろうけれど、音楽や文学によって力を得たり、感情を生かしたり、深めたりすることはやはり通じている。
 受けとるばかりだけではなくて、ちょっとでも力を返せないか、といつもどこかで考えていることは、もしかしたら聴いたり読んだりするのにはじゃまなのかもしれないけれど、自然とそういう気持ちは湧き上がってくるものだ。考えていても考えていなくても、コンサートの現場ではそれがなにかしら叶えられているのだろうと感じたりもする。どうあれ、音楽や文学には、送り先に誰かしらがいることは重要で、それがときにぼくたちひとりひとりであるのは感じようが感じまいが確かなことだ。
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