ぼんくらの午後 -『藤倉大のボンクリ・アカデミー』を読むと…  2023年7月3日(月)

ぼんくらの午後 -『藤倉大のボンクリ・アカデミー』を読むと…  2023年7月3日(月)

『藤倉大の ボンクリ・アカデミー 誰も知らない新しい音楽』 藤倉大・大友良英・藤原道山・檜垣智也・本條秀慈郎・吉田純子 著(アルテスパブリッシング 2022)
  • 青澤隆明
    2023.07.07
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 さて、『微美』を聴いた流れで、次の日の午後には、前々から気になったいた本を読んでみた。もうすぐ「ボンクリ・フェス」もあるし、ぼんくらのぼくも、ちょっくらチューニングしておこう、ってわけだ。

 『藤倉大のボンクリ・アカデミー』という昨夏出た本で、副題が「誰も知らない新しい音楽」。誰も知らないのだから、ぼくはもちろん、藤倉大もたぶんまだ知らない。ということで、さまざまな人と出会いながら、いろいろと探っていく。

 大友良英の作曲編、藤原道山の尺八編、檜垣智也の電子音楽編、本條秀慈郎の三味線編という多彩なレクチャーがあり、それを受けて、藤倉大が対話形式で名人たちから、さらに聞き出していく。おしまいには、「新しい耳の作り方」と題された特別講義があって、そこでは吉田純子がインタヴューするかたちでていねいに寄り添うなか、藤倉大の思考と実践が語られる。

 講義各編の後には、受講者からのQ&Aがさまざまにあって、これも楽しい。オンライン講座のかたちで開催されたアカデミーのドキュメントならではのものだ。これもまた、パンデミックの産物である。でも、藤倉大にとっては、いつもやっているふつうのやりかたに近いのだろう。とても自然で、この人らしく、終始くだけている。

 で、ふんふん、と話をきくように、講義録を興味津々で読んでいくと、面白いところはいろいろある。なんて、ずいぶんといい加減な言いかたになったけれど、それはつまり、人それぞれの興味の方角で、さまざまに感じる部分があるだろう、という意味だ。のっけから、大友良英の作曲の話で、ぐんと自由に見晴らしが広がって、楽になるし。

 ぼくが好きなのは、たとえば檜垣智也がミュジーク・コンクレートを音響エンジニアのピエール・シェフェールが始めたときのことを振り返って、「失敗からうまく面白い部分を見出していったことが重要に思います」と語るところ。「トライ・アンド・エラーで音楽を作っていくということ」にその「創造精神」の核をみている。ようするに、すべては「発見」から、はじまった。手探りで、自分の手とやりかたで、ちょっとずつ探りながら、つかんでいくということしかないのだ。

 電子音楽は音そのものからつくっていく。つまり自分で探り当て、こしらえた素材から組み立てる。だから、音というものに関して、電子音楽にはどこかフェティシズム的な愛着も籠りやすいのだな。そこがアナログはもちろん、デジタルでもたぶん熱度と体温になる。手の感触が残らないものは、やっぱりどこかもの足りなく感じる。

 それと、もうひとつ好きなのは、藤倉大がヘルムート・ラッヘンマンから「知ってる音ではしょうがない」というようなことを言われるところ。それじゃ、つまらない。知らない音を探していくことこそ、まだ聞いていない音楽を創ることなのだ。これも電子音楽編だけれど、会話の感じもいいので、そのまま引いてみる。

檜垣  音を発見するのが楽しい。しかし音を思いどおりに作るのもとても難しいし……。だから、なんでも思いどおりにしたい人よりは、出会いがしらの面白さを楽しめる人のほうが長続きしそうな気がしますね。
藤倉  思いどおりのものを作りたいっていうのは、かなり退屈な発想ですよ。僕もヘルムート・ラッヘンマンに言われたことがあるんですよ。「どんな音が欲しいかわかってるっていうことは、それは知ってる音だろう。知らない音を体験したいと思うから作曲するわけであって、知らない音を体験しようと思ったら、そのもともと知ってる音であるはずはないだろう」って。
檜垣  知ってる音はせめて変えなきゃいけないですね。

 ・・・というふうにやっていくときりがないので、あとは気が向いたら本のページを捲ってください。
 そう言っているうちにも、次なる本が出るみたい。『軽やかな耳の冒険 藤倉大とボンクリ・マスターズ』。マスターたちは八木美知依、杉田元一、豊田泰久、石丸耕一、石川慶、岡田利規の各氏で、こんどは作曲と演奏だけではない領域へも広がりをみせている。

 「人生の喜びは学ぶことだ」という藤倉大の率直な好奇心につられて、知らない音の、知らなかった本音をきいてみたい。無邪気にそんな気持ちになる。

 ちょうど東京芸術劇場の『ボンクリ・フェス2023』の開催も7月7日と8日。七夕の今日と、明日に迫っている。

 
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