びびっときて、びびってきた。-八木美知依 & 藤倉大 “微美” 2023年7月2日(日)

びびっときて、びびってきた。-八木美知依 & 藤倉大 “微美” 2023年7月2日(日)

八木美知依 & 藤倉 大 〜 “微美” (2023年7月2日、新宿ピットイン) 八木美知依(エレクトリック21絃箏、17絃ベース箏、エレクトロニクス) 藤倉 大(シンセサイザー、エレクトロニクス)
  • 青澤隆明
    2023.07.07
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 びびっときた。で、びびってきた。
 ピットイン、昼の部。夏空の新宿。
 
 『微美』というアルバムを、八木美知依と藤倉大が結実させたのは、パンデミックによる隔離のさなか。ファイル交換で創り上げられた本作は、音素材と触感のことにかぎらず、その意味でも独特の距離を伝えるものだった。

 八木美知依が箏を、藤倉大がシンセサイザーを自由に弾いて、エレクトロニクスで活かしつつ、夢幻のイメージを拡げていく。その模様が、データのやりとりで織りなされた創作音源を出て、この日の午後、ライヴ・ステージでも鮮やかに体感できた。つまりは、対話の交換ではなく、同時発生で進行するセッションで。
 
 このたびの実演でも、ふたりはごくあたりまえのように、『微美』の楽曲にもとづいて、自在な即興をくり広げていった。なんというか、たんたんとしている。表現には激しさもエッジもあるのに、空間がどこか静かなのだ。いろいろなことが次々と起こるが、全体の時間は響きの空間のなかで流動的に浮遊している。

 ステージは2セットで、それぞれが45分くらい、ひと連なりに織りなされていった。綿々として、悠々。生起するイメージを制限しないが、そうそう逸脱もせず、混然一体と心地よく、収まるところに収まっている。ノイジーな音響もセカンド・セットになって効果的に用いられたが、挑発的でも決して汚くはならない。

 藤倉大が汚い音をきらう、というか、きらいな音がはっきりしていることは、やはり自演でも貫かれている。彼が弾くモジュラーシンセの音もきれいで、音の質感がいいのは、アルバムでもライヴでもおなじだ。この機材で人前で弾くのはベルリン、ウィーンに続いて、ここ新宿が3回目だというが、さすがのもの。ときどき続けてほしい。

 相手を引っ張り出すのが上手な人と、相手をのせて引き出すのが得意な人が、このセッションでも終始微妙に美しく、心地よい感覚と距離を保っている。そうして、音響とイメージの像をならめらかに生成し、夢みるように変容させていった。誘いかけるその言葉以上に、うまくは言えないけれど、それはたしかに「微美」の移ろいだった。
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