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藤倉大の三味線協奏曲を、本條秀慈郎の独奏で。-大野和士指揮都響スペシャルのつづき

藤倉大の三味線協奏曲を、本條秀慈郎の独奏で。-大野和士指揮都響スペシャルのつづき

藤倉大の三味線協奏曲のことを、もう少々。 ◎ 東京都交響楽団「都響スペシャル」 指揮:大野和士 三味線:本條秀慈郎 (2020年7月19日、東京文化会館)
  • 青澤隆明
    2020.07.28
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 大野和士と東京都交響楽団のこの夏の「都響スペシャル」について、書き足りないことがある気がするので、もう少しだけ。大野と都響は、ベートーヴェンの初期交響曲2作を続けただけでなく、コープランド、デュカス、プロコフィエフ、メンデルスゾーン、藤倉大と、たった2つのショート・プログラムに、多様な時代や地域の作品を巧みに凝縮してみせた。

 2管編成をベースに考えていくと、どうしたって曲目に限りが出てくるし、やはり知恵を絞らないと、コンサートを久しぶりに生で聴いた、という感銘だけではそうそう長くはもたないだろう。裏を返せば、そんなふうに思うくらい、少しまえまではいろいろな作品をふんだんに聴けていたということでもある。だから、ベートーヴェンの記念年を活かしつつも、こうした多様なプログラムを編んで、オーケストラの能力の高さをきちんと示した大野と都響の取り組みはやはり頼もしかった、と後に振り返ることになるのだろう、きっと。

 さて、そのなかでもぼくがとりわけ新鮮な感銘を抱いた、というか、はっとして、自由な息づかいが広がるのを強く感じたのは、藤倉大の三味線協奏曲だった。この夏のコンサートではさほど新しくはない作品ばかりを聴いてきたところへ、藤倉のこの最近作では、オーケストラの響きの明朗な伸びやかさがとても清新に、しかもストレートで自然に感じられたのだ。

 藤倉大の作品の最大の魅力のひとつは、ぼくにとってはまず音がうれしそうに鳴ることで、これが奏者を心地よく高めているのがみてとれるのが、とにかく聴いていて愉しい。それはかの響きの達人が三味線という手馴れない楽器を手にして、オーケストラとの協奏曲を書いてみても変わらないばかりか、本條秀慈郎という名手からのインスピレーションを大いに受け、いきいきと幸福感に満ちたものに仕上がっていた。

 三味線のソロが非常に濃やかに聴きとれることはもちろん、その熱が音量だけではなくて表情から明確に伝わってくるのは本條秀慈郎のプレイが自在で圧巻だからだが、同時に、曲がそのようにきれいに書かれているということの証左でもある。ソロの遊泳領域が自由であることは、オーケストラの地や呼応とも大きく関わってきて、運動の受け渡しや響きの広がりが生き生きとしてくる。しかも、三味線の技法は藤倉らしく多様な創意を鏤めて駆使され、オーケストラ音楽の新しい表情を自信と熱気をもって拓いていくようで、その道行きがまたスリリングなのだ。

 こんなふうに思うのは、藤倉作品がふつうに演奏されていた近年のシーンのなかでは毎度のことではあるが、それでも、これほどの感激をもたらしていたかどうか。ひさしぶりに聴いたことだって、あるかもしれない。三味線というのがまたよかったのだろう。オーケストラが三味線の細部まで繊細に、あるいは勁く聴きとれるように、精妙にコントロールしていたのもあるし、なにより本條秀慈郎の卓抜な独奏がそれだけ熱と力を帯びて迫ってきたことが大きい。
 
 とにかく、この夏の日、文化会館で、本條秀慈郎の独奏と、大野和士指揮都響の生演奏で聴いて、ぼくはすんなりそのことをありがたく思った。かんたんにいうと、オーケストラの響きがとても自由で、色鮮やかに味わえたのだ。ふだんはさほど聴かない三味線の音も、ギターのディストーションを電気ではなくオーガニックな熱で叶えたものだと思えば、ごくふつうに馴染みがあった。やっぱり同時代の音楽の響きはそれだけすっと入ってくるのだ、と思えたことがうれしかった。
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