現況の中で成し得る創意工夫が新たな感銘を呼ぶ

現況の中で成し得る創意工夫が新たな感銘を呼ぶ

読売日本交響楽団 特別演奏会/日曜マチネーシリーズ 2020年7月5日 東京芸術劇場 日本フィルハーモニー交響楽団 第722回 東京定期演奏会 2020年7月10日 サントリーホール 東京都交響楽団 都響スペシャル 2020(7/12) 2020年7月12日 サントリーホール
  • 柴田克彦
    2020.07.15
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 6月の東京フィルと東響に続いて、7月に有観客公演を再開した3つの在京オーケストラの初日に足を運ぶ。いずれも万全の対策を行った上で、観客は1000人以下に限定。しかも全て休憩なしの約1時間公演だが、その中でそれぞれ創意工夫したプログラムを打ち出していたのが印象的だった。
 読響は、鈴木優人の指揮で、マーラーの交響曲第5番から第4楽章“アダージェット”、メンデルスゾーンの管楽器のための序曲、モーツァルトの交響曲第41番「ジュピター」というプログラム。最初に弦楽器とハープ、次いで管楽器と打楽器に焦点を当てて、最後にミックスする構成や、「新たな第一歩に相応しく、全て“ド”の音で始まる作品。さらに作曲者と優人の頭文字は全て“M”」(鈴木)との趣向に、かような状況下ゆえの妙味を追求する意欲が伺えて、なかなか愉しい。それに演奏自体も、鈴木優人色が佳き形で反映された刺激と示唆に富む内容だった。
 アダージェットが始まった瞬間、しなやかな響きに耳を奪われる。そして精妙にコントロールされた音が美しく綾をなし、“静謐な陶酔”といった風情が醸し出される。4ヶ月ぶりの本番とのことだが、アンサンブルの精度は高く、「さすが読響!」と感心することしきり。メンデルスゾーンは、“ロマン派版大型ハルモニームジーク”といった趣の典雅な演奏で、各パートのバランスの良さも光り、生で聴く機会の少ない作品を興味深く堪能させた。「ジュピター」は、弦楽器が6・6・5・4・3という変則的な編成。これによって中音を核としたコンパクトな音塊の中で各声部が綾なす独特の響きが生み出され、構築性や緊密度の高いパフォーマンスと共に、充実の1時間が締めくくられた。
 日本フィルは、広上淳一の指揮で、バッハのブランデンブルク協奏曲第3番、ブラームスの交響曲第1番というプログラム。元々予定されていた指揮者&演目(両曲の間にあったリゲティのヴァイオリン協奏曲が割愛)で、再開公演としてはベターな形が実現した。
 ブランデンブルク協奏曲第3番は、基本的に立奏の弦楽器10名+チェンバロの計11名編成。音の動きを明確にしながらオースドックスなバロック音楽を奏でる方向性が伺えるし、演奏自体もスッキリした美感を湛えていたが、裸の音が露わになる奏者たちは大変そう。時に乱れが生じて(ブラームスもそうだった)広上がアクション大きく誘導する場面もあった。おつぎのブラームスの交響曲第1番は、さらに興味深い演奏。“特別な公演でブラ1”となれば、“熱く燃えながら煽りに煽って畳み込み、果ては感動の大団円”的な爆演を想像してしまうが、遅めのテンポでじっくりと運ばれていく大河のような造作で、むやみにいきり立つ場面など皆無。1音1音を大事にしながら丁寧に音楽を紡いでいくスタイルは、まるで広上がオケに“原点に・基本に還れ”と言っているかのようだ。もちろんバッハの後の12型の響きはたっぷりと聴こえて対比効果は十分。要所での熱気や高揚感はあるし、こうした生き方ゆえに第2楽章の滋味深さや第3楽章の牧歌的な味わいがより際立った。だがそれにしても翌日の同プロ2日目公演がどうなるのか? 一度演奏しての変化や良化度がすこぶる気になった。
 都響は、大野和士の指揮で、コープランドの「市民のためのファンファーレ」、ベートーヴェンの交響曲第1番、デュカスの「ラ・ペリ」の「ファンファーレ」、プロコフィエフの「古典交響曲」というプログラム。2つの金管アンサンブル作品に19世紀の先進的な古典交響曲と20世紀の新古典主義的な交響曲が続く内容は、これまた興趣に富んでいる。
 まずはコープランドのファンファーレ。まろやかにして引き締まった響きで、バランスの良いアンサンブルが展開される。ベートーヴェンの交響曲第1番は、12型での堂々たる演奏。サウンド・バランスの巧みさと第2、第3楽章のニュアンス豊かな運びがとりわけ光った。「ペリのファンファーレ」もコープランド同様だが、より強固なアンサンブルで隙がない。ブラスの2曲を聴くと、こうしたアンサンブル曲も指揮者がいると音楽のまとまりや訴求力が大幅にアップするのを実感する。プロコフィエフの「古典交響曲」は、あらゆるフレーズや楽器の出入りが表情豊かに続き、愉悦感満点。音符をただ音にするだけでは単調でつまらない結果に陥ってしまう作品(そのような演奏を複数聴いた)だが、大野&都響はチャーミングな楽想が横溢する精彩に富んだ音楽を生み出した。このような演奏でこそ同曲の面白さを味わえるというもの。全体的にみると、これも1時間公演でこその妙味を創出したコンサートと言って間違いない。
 このように、どの公演にもオーケストラと指揮者の個性が如実に反映されていた。それに何より生演奏の魅力は他に変えがたい。自身を含めた諸問題の行く末はまだ見えないが、でき得る限りコンサートに接していたいと改めて強く思う。
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