東響モーツァルト・マチネ 2019年11月24日 ミューザ川崎シンフォニーホール

東響モーツァルト・マチネ 2019年11月24日 ミューザ川崎シンフォニーホール

ジョナサン・ノットがモーツァルトで見事なまでの大暴れ。これほどアグレッシヴな「ジュピター」を聴いたのは生まれて初めてだ。
  • 柴田克彦
    2019.11.28
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 ミューザ川崎が開催している東京交響楽団の「モーツァルト・マチネ」第38回。今回は同楽団の音楽監督ジョナサン・ノットが指揮して、R.シュトラウスのオーボエ協奏曲(独奏は東響首席の荒絵理子)とモーツァルトの交響曲第41番「ジュピター」を聴かせた。
 R.シュトラウスが最晩年に書いたオーボエ協奏曲は、ソロが派手すぎても地味すぎてもいけない音楽だと思う。その点、荒絵理子は華麗さと翳りの比重がきわめて絶妙なソロを奏でた。各オーケストラに高水準の奏者が揃う現代日本のオーボエ界の中でも、ソロイスティックな魅力においてトップ級の彼女は、過剰な表現を避けながらも明瞭な音で表情豊かな演奏を聴かせ、楽曲の魅力を存分に堪能させた。
 驚愕したのはその後の「ジュピター」。冒頭からタメと押しの効いたダイナミックな表現に仰天させられる。以後も同様。テンポは自在に揺らされ、各パートの音がどれも生命力をもって主張しながらムービングに絡み合う。この調子で進行すれば当然、第4楽章のフーガ風の動きは目を見張るほど鮮やかだ。極端に言うと野性的でさえあるが、細かな造作は緻密で隙がない。ノンビブラートの多用や硬めのアタックなどピリオド奏法を意識しながらも、あらゆるフレーズが生き物のように変化し躍動するこの演奏を聴くと、もはやピリオドやHIPをメインにした時代は終わり、“その先の音楽表現”に焦点が移っていることを実感させられる。
 大興奮のフィナーレが終わって、「ブラボー」を叫びたくなった(実際は小声で独り言のように呟く)のもモーツァルト演奏では稀なこと。ノットは今回も(最近はほとんど毎回そう)楽員が捌けた後に一人でカーテンコールを受けていたが、今日は心からそれに参加したくなった。
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