12型、14型の佳きサウンドが続く終盤戦 <フェスタサマーミューザKAWASAKI2020  レポート3>

12型、14型の佳きサウンドが続く終盤戦 <フェスタサマーミューザKAWASAKI2020 レポート3>

2020年8月7日 東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団     8月8日 日本フィルハーモニー交響楽団     8月10日 東京交響楽団 フィナーレコンサート     何れもミューザ川崎シンフォニーホール
  • 柴田克彦
    2020.08.24
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 今年のフェスタサマーミューザKAWASAKIのレポートの完結編。今回は8月7~10日の(足を運んだ)ラスト3公演である。
 8月7日の東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団は、桂冠名誉指揮者の飯守泰次郎の指揮で、ワーグナーの歌劇「タンホイザー」序曲、ブルックナーの交響曲第4番「ロマンティック」というプログラム。ドイツ音楽の巨匠がおくる雄大な名作プロといった趣で、在京オケでは公演再開後初めてのブルックナー演奏に注目が集まる。弦楽器の編成は12・10・8・6・5。奏者間の距離も適度で不自然さはまったく感じない。
 活動再開後のシティ・フィルにとって有観客公演における本格プロは実質的に初とあってか、「タンホイザー」序曲は慎重な運びでやや硬め。後半の「ロマンティック」もアンサンブルが粗く事故も多い。だがこの日の主役は飯守マエストロ。力みなく表出される悠揚たる音楽は、やはり格別な味がある。豪快に鳴らすよりも様々音やフレーズに命を与えながら滋味と深みのある音楽を聴かせる。これまさに巨匠芸というほかない。ゆえに音楽的には他にない感触を得ることとなった。(なおシティ・フィルの名誉のために記しておくと、5日後の8月12日に東京オペラシティで行われた定期公演におけるブルックナーの交響曲第8番は、アンサンブルの精度もサウンドの密度─特に金管楽器─も上々で、機能的なクオリティが大幅にアップしていた。指揮の高関健のまとめの上手さもあろうが、ここで一度「ロマンティック」を演奏したことが大きかったのではないか)。
 8月8日の日本フィルハーモニー交響楽団は、梅田俊明の指揮で、レスピーギの「リュートのための古風な舞曲とアリア」第3組曲、武満徹の「虹へ向かって、パルマ」、ベートーヴェンの交響曲第1番というプログラム。武満作品では、ギターの村治佳織とオーボエ・ダモーレの松岡裕雅(日本フィル副首席奏者)がソリストを務める。弦楽器の基本編成は通常の12型。配置も普段見慣れた状態に近い。
 弦楽器のみのレスピーギ作品は、整ったアンサンブルによる丁寧な演奏。そこはかとなく漂う古風な情趣も悪くない。武満作品は、14型・3管の弦・管楽器にハープ2台と多数の打楽器(奏者は4名)が加わる大編成。今年の本音楽祭中の最大編成と思しき陣容は、昨今の状況下で見ると壮観だ。もちろん大音響用ではなく、精妙かつ多様な色彩感を描出するための編成なのだが、そこから生み出される多彩な音模様を体験すると、こうした編成の妙もオーケストラの大きな魅力であることを改めて実感する。村治も松岡もオーケストラと一体となりつつ神秘的な存在感を発揮。村治のアンコール、武満徹の「森のなかで」の静謐な余情も胸に染みた。後半のベートーヴェンは、モダン・オーケストラにおけるオーソドックスな表現だが、ほどよくエネルギッシュでまとまりのよい演奏がなされ、曲の魅力がナチュラルに伝えられた。アンコールの「プロメテウスの創造物」序曲も同様。日本フィルは、すでに有観客の主催公演を複数行っていることもあってか、響きが安定しているし、バランスもいい。
 8月10日は東京交響楽団フィナーレコンサート。いよいよ最後か、無事に到達できて本当に良かったと心底思う。指揮は原田慶太楼。2021年4月からの正指揮者就任が発表されたばかりなのでグッド・タイミングだ。プログラムは、ショスタコーヴィチの祝典序曲、グリエールのハープ協奏曲、リムスキー=コルサコフの交響組曲「シェエラザード」。ハープのソロは、東響首席奏者の景山梨乃が務める。それにしても、ここまでの演目が可能になったかと思わせる色彩的なロシア・プロが実に嬉しい。
 1曲目の祝典序曲からその喜びを全面的に味わわせてくれる。弦楽器は14型で、最後にはオルガン前に10本の金管楽器のバンダまで居並ぶ“フル態勢”。活力漲る原田の指揮のもと躍動的な音楽が展開され、3月以降は聴くことがなかった豪快・華麗なサウンドが会場一杯に鳴り響いた。東京フィルの14型チャイコフスキーも圧巻だったが、「祝典」ゆえの曲調とバンダが加わったこちらはさらに派手。最終公演で大音響オーケストラの醍醐味を最大限満喫させる演出(?)もなかなかニクい。グリエールのハープ協奏曲は景山梨乃の明朗かつ繊細なソロに酔わされる。彼女は達者なだけでなく、音の運びが自然で情感も豊か。特に第2楽章はバック共々ぬくもりのある美しい演奏だった。景山のアンコール、ルニエの「いたずら小鬼の踊り」は優美な贈り物。後半の「シェエラザード」は濃厚な響きで振幅の大きな音楽が描き出される。原田は時にゲルギエフを思わせる動き(音楽も)で曲全体をたっぷりと雄弁に表現し、コンサートマスターの水谷晃は豊潤な美音で絶妙なソロを奏で、チェロ、木管、ハープ(景山はここにも出演)等々も好調なソロを聴かせる。同曲は、フル・オーケストラならではのスケール感と色彩感に溢れた、素晴らしいフィナーレとなった。 
 これにて音楽祭は終了。1回目のレポートにも書いたが、今年の状況下で音楽祭を開催し、全17公演を完遂したことは、いくら賞賛しても賞賛しきれないほどの快挙。このような業績にこそ芸術・文化の大きな賞を授与すべきではないだろうか。
 ところで、今回9公演=9オーケストラのステージに接したが、奏者間の距離やマスク着用の有無等は、各団体によって様々だった。会話するわけでもない本番のステージで大きな距離をとることやマスクの着用は不要ではないか、さらには非日常的な楽しみでもあるコンサートでそれらを見ると、日常=現実を想起させられて些か辛いとの思いも抱く。また例えばオーケストラ連盟のような機関で実効性のある基準を設けられないものか(種々の実験が団体ごとバラバラに多数行われている点もどうなのか?)とも思う。とはいえ楽団によって事情が異なるであろうし、会話が生じる=マスクが必要なリハーサルと本番で奏者間の距離を変えるのは難しいかもしれない。何しろ正解など誰にもわからないのだから、しばらくは試行錯誤状態が続くのもやむを得ないのだろう。
 ただ、各ホールで行われている時差退場には疑問が残る。ミューザの誘導は中でも有効だと思える方だが、1階、2階などブロックごとの退場は、その付近のドアに皆が集中するので結局混み合うし、案内のタイミングによってはすでに複数の人が出てしまっているケースもある。そもそも今は最大でもキャパの半分しか聴衆が入っていないし、かなり少ない公演もあるので、杓子定規に実施するのはいかがなものだろうか。
 それはさておき、フェスタサマーミューザKAWASAKIは、本当に欠かせない音楽祭になった。大前提として、様々なオーケストラ、様々な音楽を、響きの良い会場で集中的に聴ける楽しみは大きい。オーケストラに関していえば、おざなりの名曲プロなど1つもなく、各団体が創意を凝らしている。その点も含めた自然なライバル心(? 平たく言えば「うちだけ下手なことはできない」という)が良き効果を発揮して、演奏の密度も高く、熱意と誠意ある好演が続く。特に今年は、現況に即した各団体の創意工夫が際立っていて、結果的に例年より多彩な内容になったともいえる。それに何より聴衆がいい。今年はやはり特にそう。楽員の入退場時や演奏後の拍手は温かく、「現況下で演奏してくれること、生の音楽を聴かせてくれたこと」への感謝の念が強く感じられた。演奏を熱心に聴いていることもよくわかるし、結果に比例して拍手の大きさも変わり、えらく盛大になることもしばしば。楽員退場後の指揮者等のソロ・アンコールが起きた公演も多々あった。
 それやこれやが相まって、かけがえのない時間を与えてくれたフェスタサマーミューザKAWASAKI2020。終わって2週間経った今もなお、「フェスタサマー」ロスが消えないでいる。
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