再演の意義を自らに問い直す刺激的な舞台

再演の意義を自らに問い直す刺激的な舞台

モーツァルト:歌劇「フィガロの結婚」~庭師は見た!~ 2020年9月19日 ミューザ川崎シンフォニーホール
  • 柴田克彦
    2020.09.30
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 2015年に全国で上演された、野田秀樹演出、井上道義指揮・総監督による「フィガロの結婚」の再演。幕末に舞台を移した上に、登場人物が外国人と日本人に分けられた、“読み替え”演出によるオペラだが、前回とは異なる感触を得ることとなった。
 演劇的な事項に触れる知識は持っていないし、読み替え演出に対しては全否定も全肯定もしない。かなりの顰蹙を買った、例えばコンヴィチュニー演出の「アイーダ」やカタリーナ・ワーグナー演出の「フィデリオ」等は意外に面白く感じたが、腹が立った演出(演出家の自己顕示に終始する舞台や、音楽の力を軽視した舞台)も少なからずある。ではこの「フィガロ」はと言うと、2015年に観た時は、イタリア語と日本語の混在、登場人物がみな双方の言葉がわかる点(幕末にイタリア語が飛び交い、しかも日本の使用人が即座に理解する……)、スザ女やフィガ郎といったネーミング等に違和感を感じたし、海外勢と日本勢が遊離して音楽自体の居心地が悪く、スザ女役の小林沙羅の好演ばかりが印象に残ったように記憶している。
 ところが今回は、それらの違和感(本来どれもこの舞台の肝であろう)を面白く感じ、音楽的にもまとまった印象を受けた。本演出の在り方を既に知っていること、一度観て多少慣れていることも要因であるに違いない。しかしながら全体の流動性や各人の絡み方が明らかに良化している。嫌になるほど記憶力が乏しく、細かい部分はまるでわからないが、演出も手直しされているのだろう(ラストの伯爵夫人の行動はインパクト十分で、なるほど!と感心させられたが、前回あった記憶が全くない……)。それに2度目となればあらゆる方面の問題点が大なり小なり改められているであろう。そのせいか今回は、登場人物の動きや台詞のみならず、大道具・小道具までもが生きており、やりとりもスムーズで、弛緩することなく進む。おかげで、モーツァルトの音楽の良さと本舞台独自の妙味を併せて楽しむことができたし、再演の意義を改めて見直すことにもなった。
 もちろん井上道義をはじめとする演奏陣の好演も大きい。中でも、来日不能の海外勢に代わって出演した外国人役3人─伯爵役のヴィタリ・ユシュマノフ、伯爵夫人役のドルニオク綾乃、ケルビーノ役の村松稔之─の健闘が光った。彼らの誠実な演唱には、代役の自分らが頑張って何とか舞台を成功させようとの熱意が感じられたし、外見的な存在感もあるので、意図された異質性の効果がナチュラルに発揮される。特にカウンターテナーの村松の妖しさは出色。また歌手全員の粒(水準)がかなり揃っている点もモーツァルトのオペラに相応しい。川崎公演のみ受け持つ東京交響楽団はやや粗さをみせながらも生き生きと演奏し、特に表情豊かなオーボエやファゴットが耳を奪う。
 加えて本公演では、歌手たちが不自然な距離をとることなく、平時と同じように触れ合いながら進む点が特筆される。出演者のみならず舞台に関わる全員がPCR検査を受けて臨んだとのことだが、非日常の楽しみの最中に不快な現実を想起させないこの姿勢は、大いに評価したい。
 当舞台は、10月18日に北九州芸術劇場、10月30日と11月1日に東京芸術劇場でも上演されるので、興味ある方はぜひご観戦を。

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