映画『海の上のピアニスト』イタリア完全版(9月4日公開)を見て

映画『海の上のピアニスト』イタリア完全版(9月4日公開)を見て

エンニオ・モリコーネが音楽を手掛けたジュゼッペ・トルナトーレ監督『海の上のピアニスト』4Kデジタル修復版(121分)が8月21日より公開される。それを記念し、これまで日本未公開だったイタリア完全版(170分、HDリマスター)も9月4日からの公開が決まった。今回、イタリア完全版をオンライン試写で見た。
  • 前島秀国
    2020.06.22
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※7月6日追記:エンニオ・モリコーネ氏は現地時間7月6日、入院先の病院で91歳で亡くなりました。ご冥福をお祈り申し上げます。
『ニュー・シネマ・パラダイス』から『ある天文学者の恋文』まで、ジュゼッペ・トルナトーレ監督の長編劇映画の音楽をすべて手掛けている巨匠エンニオ・モリコーネが、2019年のファイナル・コンサートを終えてから約1年が経過しようとしている。当然のことながら映画音楽の作曲活動も引退しているので、今後、彼がスコアを作曲した新作劇映画が見られることも、ない。非常に残念であるが、今年11月で92歳を迎える高齢を考えれば、仕方ないことであろう。そんな折、1999年に劇場公開されたトルナトーレ監督『海の上のピアニスト』の4Kデジタル修復版(インターナショナル版)と、それよりも上映時間が約50分長いイタリア完全版が相次いで公開されることになった。

イタリア完全版の存在は、実は1999年のインターナショナル版公開の頃から知っていた。当時、日本でもこの映画のサントラ盤が発売されたが、それとは別に、イタリア完全版のサントラ盤(英語表記の『The Legend of 1900』ではなく原題の『La leggenda del pianista sull'oceano』がアルバムタイトル)が日本にも並行輸入され、インターナショナル版の本編に含まれていないトラックが多数含まれていたので、非常に驚いた記憶がある。今回、ようやくイタリア完全版を鑑賞し、モリコーネの音楽がインターナショナル版以上に重要な役割を果たしていることが確認できた。

イタリア完全版の特徴がよく現れている例を、ひとつだけ挙げてみる(以下、イタリア完全版のネタバレを含む)。

物語のはじめ、豪華客船ヴァージニア号の黒人機関士ダニ―・ブードマン(ビル・ナン)は、サロンのピアノの蓋の上に放置された赤子を発見し、ボイラー室に運んでくる。仲間の機関士たちが野次を飛ばす中、ダニーは自分が親代わりになって赤子を育てると宣言し、赤子を「ダニー・ブードマン・T・D・レモン・ナインティーンハンドレッド」と命名する。ここまではインターナショナル版と同じだが、その後、イタリア版ではダニーが泣き止まぬ赤子をあやすため、ゴスペル風のブルースを歌い始め、仲間たちもその歌に唱和するという、ちょっとしたミュージカル風のシーンが加えられている。

このゴスペル風ブルースは、もちろんモリコーネの作曲によるものだが、インターナショナル盤のサントラ(日本で発売されたもの)には収録されず、イタリア完全版のサントラのみ《Thanks Danny》(赤子に付けられたミドルネームのイニシャル「T・D」に因む)というタイトルで収録されている。おそらく、上映時間の都合でインターナショナル版からカットされたと推測されるが、この楽曲があるとないとでは、主人公ナインティーンハンドレッド(ティム・ロス)のキャラクターが大きく変わってくる。

《Thanks Danny》は、要するに機関士たちが赤子をあやすために歌った“子守唄”である。それを聴きながら成長したナインティーンハンドレッドは、ある意味で黒人音楽(から派生したジャズ)の“英才教育”を受けて育ったピアニストなのである。だから彼の中には、黒人音楽の血が自然と流れている。それが物語中盤、自分がジャズを生み出したと称するピアニストのジェリー・ロール・モートン(クラレンス・ウィリアムズ3世)と“ピアノ決闘”をする有名なシーンの伏線となっている。いくらナインティーンハンドレッドがピアノの神童だからといって、簡単にジャズの名手を打ち負かせるわけではない。それなりの生い立ちがなければ不可能なのだ。

この《Thanks Danny》(と黒人音楽)が、ナインティーンハンドレッドの生い立ちにどれほど大きな影響を与えているか。そのことをはっきり示すのが、三等船客たちに囲まれた彼が物思いに耽りながら、アップライト・ピアノを演奏するシーンである(このシーンはイタリア完全版、インターナショナル版ともに含まれている)。そこで彼が弾いているのは、他ならぬ《Thanks Danny》のピアノ・ヴァージョン、サントラ盤では《ダニーズ・ブルース》というタイトルが付された楽曲だ。ナインティーンハンドレッドが生まれて初めて耳にした《Thanks Danny》は、成長した彼の記憶の中にずっと留まり続け、それを《ダニーズ・ブルース》として演奏することで、彼が幼い頃に事故死した育ての父ダニーへの忘れ得ぬ想いを表現している。イタリア完全版では、そうした音楽の意味がはっきり伝わってくるのだが、《Thanks Danny》の歌唱場面がカットされたインターナショナル版では、ナインティーンハンドレッドが突然《ダニーズ・ブルース》を弾き始めるので、観客にはその楽曲が何を意味するのか全くわからず、かなり唐突な印象を受ける。

このように、たった1曲あるかないかの違いで、映画そのものの印象が大きく変わってくる。そこに、イタリア完全版でモリコーネとトルナトーレ監督がこだわり抜いた音楽の使い方、ひいては映画音楽の面白さを感じることが出来るだろう。

他にもまだまだ例を挙げることが出来るが、あとは実際に本編をご覧になって、観客それぞれがその面白さを発見していくのがよい。順番としては、やはり最初にインターナショナル版(4Kデジタル修復版)を先に見て、それからイタリア完全版をじっくり鑑賞したほうが、両者の違いをより明確に感じ取ることが出来ると思う。

ちなみに、トルナトーレ監督はモリコーネを題材にしたドキュメンタリー映画『Ennio, The Mestro(The Glance of Music)』を完成させたそうで、おそらく日本でも近いうちに見れるはずである。
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