2019年はジョン・ウィリアムズ・イヤーだった(その2)

2019年はジョン・ウィリアムズ・イヤーだった(その2)

『スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け』最速上映を鑑賞して、主に音楽面からのファースト・インプレッション。
  • 前島秀国
    2019.12.20
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(ネタバレあり)『スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け』を見てきた。前作『最後のジェダイ』よりはずっとマシだが、今回演出に復帰したJ・J・エイブラムス監督は例によって過去作へのオマージュをぎゅうぎゅうに詰め込んでいるので、テンポの緩急もへったくれもなく、見ていると正直ダレてくる。映画というより、アトラクションに近い。

ここからはウィリアムズの今回のスコアと大きく関係してくるので、大幅なネタバレを含めて書いていく。

エイブラムス監督が以前から明らかにしていたように、本作においては、『ジェダイの帰還』で死んだはずのパルパティーン皇帝が蘇り、物語のかなり早い段階からその姿を見せる。それに応じる形で、ウィリアムズが『ジェダイの帰還』の時に書いた「皇帝のテーマ」(男声コーラスによる不気味な曲。演奏会用組曲でもほとんど演奏されない)も久しぶりに流れてくる。ここまでは、だいたい想定内である。

ところがこの「皇帝のテーマ」、物語が進むにつれてオーボエで物悲しく演奏されたり、要するにかなり人間的なアレンジを施されて流れてくるのである。もともと、人気のあるテーマとは言えないから、よほどのファンでもない限り、本編を一度ご覧になっただけではアレンジに気が付かないかもしれないが、物語の第1幕にあたる部分は、実はスコアの半分近くは「皇帝のテーマ」だけで構成されているといっても構わない。

では、なぜ、それだけ「皇帝のテーマ」を流すのか?
それは、物語のある登場人物が、皇帝の血を引いているからである(その人物設定の妥当性自体は、ここでは敢えて問わない)。そのため、作曲家としてのウィリアムズは、この「皇帝のテーマ」を出来るだけ“ヒューマン”に感じさせようと、さまざまなアレンジを加えているのである。
そこが、実は今回の『スカイウォーカーの夜明け』の最大の聴きどころである。新しいテーマを打ち出すより、アレンジによる音楽の展開に表現の重きを置いているのである。シリーズを通じてこれだけたくさんテーマ(ライトモティーフ)を書き上げたのだから、過去のテーマのアレンジに頼るのは当然と言えば当然だろうが、そのアレンジが映画本編の物語表現と必然的に結びついている。

さらに今回の「皇帝のテーマ」の場合、アレンジを加えられたことで、別のテーマとの類似性が見えてくるという、衝撃の展開も待ち受けている。

激しいネタバレを含むので、注意して読まれたい。
その別のテーマとは、ウィリアムズが『フォースの覚醒』の時に作曲した「レイのテーマ」だ。その冒頭部分の旋律の形が、「皇帝のテーマ」の旋律にかなり似ているのである。

もし、ウィリアムズが予め彼女の生い立ちを知らされた上で「レイのテーマ」を書いていたのだとしたら、本当に驚くべきことである。ちょうど『ファントム・メナス』における「アナキンのテーマ」を、「ダース・ベイダーのテーマ」に基づいて作曲したのと同じことだから。

あるいはもしかしたら、旋律が似ているのは、単なる偶然なのかもしれない。だとしても、少なくとも作曲者のウィリアムズ本人と映画の作り手たち(特にエイブラムス監督)は、2つのテーマが似ているということを意識しながらこの映画を作っていると思う。

映画の第2幕にあたる中盤、レイが廃墟と化したデス・スターの内部に入ると、ある場面で「ダース・ベイダーのテーマ」のアレンジが流れてくる。そのアレンジは、通常演奏されるような軍隊行進曲調の勇ましいアレンジではなく、『ジェダイの帰還』でダース・ベイダーが初めてマスクをとり、息子のルーク・スカイウォーカーに初めて素顔を見せる場面で使われた編曲の引用である。チェレスタで「ダース・ベイダーのテーマ」の旋律が流れてくるので、『ジェダイの帰還』を未見の読者にもすぐわかるだろう。そのチェレスタのアレンジが流れてくる以外、この場面で映像的に特に何かが起きるわけでもない。つまり監督と作曲家は観客に対し、そのアレンジを聴いて過去に何があったか思い出してほしいと、アレンジの想起力に物語の表現を委ねているのである。『スカイウォーカーの夜明け』全編を通じて、音楽が最も雄弁に語りかける瞬間のひとつであり、同時に今回のウィリアムズのスコアの本質――つまりアレンジによって悪のテーマも善のテーマに変わり得る――がはっきり示された瞬間でもある。

アレンジとは、変容でもあり、編曲でもあり、変奏でもある。それが今回の映画の登場人物たち、わけても主人公たちの変容と密接に結びついている。そこに、今回の『スカイウォーカーの夜明け』のスコアの真の偉大さが存在する。わかりやすく言えば、アレンジによって音楽はフォースのように輝いたり、ダークサイドのように陰鬱になったりするのである。

それと同時に感じるのは、ウィリアムズにとって、アレンジはもはや作曲(何か新しいテーマや旋律を生み出すこと)以上に彼の関心を占め、ひいては彼の重要な創作の中心を占めているのではないか、ということである。アレンジの問題については、次回、アンネ・ゾフィー・ムターのために彼が書き下ろした新編曲を通じて、もう少し詳しく触れてみたいと思う。
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