バロック、ヘンデルと『パラサイト 半地下の家族』

バロック、ヘンデルと『パラサイト 半地下の家族』

ヘンデルのオペラ《ロデリンダ》のアリア2曲を用いた映画『パラサイト 半地下の家族』を見て。
  • 前島秀国
    2020.01.17
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アカデミー賞6部門にノミネートされたことで俄然注目度が高まった昨年のカンヌ映画祭パルムドール受賞作『パラサイト 半地下の家族』をようやく見てきた。平日昼間なのに、中高年層を中心に満席状態。大盛況である。しかし、映画を見終わった後、その中で流れていたヘンデルのオペラ・アリアに気付いた観客は、果たしてどのくらい存在するだろうか?

内職をしながら半地下で暮らす4人家族――事業に失敗した父、母、浪人中の息子、予備校にも行けない娘――が、ふとしたきっかけでIT企業の裕福な一家と接点を持ち、その家庭に寄生(パラサイト)していく過程と意外な顛末を描いた本作。パラサイトする側とされる側の格差を際立たせるため、ポン・ジュノ監督と作曲家チョン・ジェイルは、本作の音楽の約半分近くをバロック音楽風――具体的にはバッハの協奏曲のスタイル――のスコアでまとめるという手法を採っている。当然のことながら、そこには裕福な一家が“王侯貴族”に他ならないという言外の意味が込められている。これだけなら、別に珍しい手法でもなんでもない。上流階級にはバロック音楽という、映画一般に見られる一種の“お約束”である。

ところがこの映画では、バッハ風のスコアが流れてくるだけでなく、ヘンデルのオペラ《ロデリンダ》のアリア2曲が、かなり目立つ形で用いられている。ひとつは<残酷な人々よ、私はこう誓った Spietati io vi giurai>、もうひとつは本編のクライマックス、屋外パーティのシーンで客のひとりが歌うという設定で流れてくる<私の愛しい人 Mio caro bene>だ。

グリモアルド公爵に王位を奪われたロンバルディア王ベルタリードがハンガリーに亡命。その後、夫が死んだという噂を聞かされた王妃ロデリンダは、グリモアルドから再婚話を持ちかけられると、「私と結婚したかったら、目の前で私の息子を殺してみろ」と怒りをあらわにし、「息子に心を捧げた以上、あんたと結婚しても悲しみと恐怖しか与えない」と歌うアリアが<Spietati io vi giurai>。そして、オペラの最後、ロデリンダがベルタリードと再会すると「私の愛しい人、これで悩みも苦しみも消えました」と喜びに満ち溢れたアリア<Mio caro bene>を歌う。

要するに《ロデリンダ》というオペラは、ロンバルディア王とその妻が、グリモアルド公爵に“パラサイト”される話なのである。ポン・ジュノ監督と作曲家のチョン・ジェイルが、そうした文脈を踏まえた上で《ロデリンダ》の2曲を本編で引用しているのは、ほぼ間違いない。

ただし、映画をご覧になればおわかりのように、『パラサイト 半地下の家族』の結末は《ロデリンダ》の結末と大きく異なる。《ロデリンダ》の物語は、パラサイトされた側、つまりロンバルディア王の家族に観客が感情移入するように作られている。ところが『パラサイト』は、“王族”にパラサイトする側に観客が共感するよう、物語が作られている。その立ち位置の違いが、それぞれの結末の違いに表れていると言えるだろう。ネタバレになるので、これ以上、詳しくは書けないが。

おそらく今後、ヘンデルを初めとするバロック・オペラの上演では『パラサイト 半地下の家族』を意識した演出が増えてくるだろう。王権を奪取するとかしないとか、人間が神になろうとするとかしないとか、そういった類の物語も、結局は人間が太古の昔から繰り返している“パラサイトの物語”に集約することが出来る。ヘンデルのオペラを引用することで、現代の格差社会の問題を神話化してしまった『パラサイト 半地下の家族』は、やはりタダモノではない。
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