『シャイニング』の続編『ドクター・スリープ』の音楽について

『シャイニング』の続編『ドクター・スリープ』の音楽について

『シャイニング』に使用されたバルトーク、リゲティ、ペンデレツキの原曲を、ザ・ニュートン・ブラザーズがサンプリング/細分化した上で新たなスコアを作曲。そこには、音楽著作権の問題を回避するため、敢えて原曲を使用しなかったという”大人の事情”も見えてくる。
  • 前島秀国
    2019.12.02
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(ネタバレあり)11月29日初日のレイトショー。横浜市内の200席のシネコンで20人程度の入り。
僕はスティーヴン・キングの熱心な読者でもないし、基本的に映画は原作と切り離して楽しむべきだという考えている人間なので、原作を大幅に脚色したスタンリー・キューブリック監督の『シャイニング』に原作者のキングが抗議したというエピソードも、実はほとんど関心がない。『ドクター・スリープ』を見に行ったのは、それがキューブリックの傑作の続編だから、という理由だけである。
明確な3幕構成。第1幕は、前作にも登場した、シャイニングと呼ばれる超能力を持つ少年ダニ―が成人するまでの過程を描くが、ここが文字通りスリープしたくなるほどつまらない。第2幕では、同じ超能力を持つ少女アブラとダニーが協力し、吸血鬼ならぬ吸精気集団(シャイニングを吸うことで永遠の生命を得ている)と戦う。この第2幕が、良くも悪くもキングらしい残酷な悪趣味に溢れた、それなりに面白いパートとなっている。最後の第3幕は、前作の舞台となった冬山のホテルで繰り広げられる最終決戦。実質的には前作のリメイクというか、キューブリックの演出と映像をかなり細かく再現している。本来ならここが一番面白くなるはずだが、実は昨年スピルバーグが『レディ・プレイヤー1』で同じような再現を試みていたので、新鮮味はほとんどない。
では、音楽は?
『シャイニング』は、バルトーク《弦、打楽器、チェレスタのための音楽》、リゲティ《ロンターノ》、ペンデレツキ《ポリモルフィア》や《ヤコブの目覚め》や《ウトレンニャ》などをキューブリックが自ら選曲して本編で流し、大きな効果を上げた作品としても知られている。今回の『ドクター・スリープ』は、本作を手掛けたマイク・フラナガン監督の常連作曲家/アレンジャーのザ・ニュートン・ブラザーズ(アンディ・グラッシュとテイラー・ニュートン・スチュアートによる作曲ユニット)が手掛けているが、本編から聴こえてくるのは紛れもなくバルトーク風、リゲティ風、ペンデレツキ風の音楽だ。より正確に言うと、彼らはバルトークやリゲティやペンデレツキの原曲をサンプリング/細分化し、これらの東欧の作曲家に特徴的な作曲技法や特殊奏法や音色やオーケストレーションだけを抜き出して、それに基づいた新たなスコアを書き上げている。原曲を知っていれば、ここが《弦、打、チェレ》の第3楽章だとか、ペンデレツキのトーンクラスター技法だとか、はっきりわかるのだけど、そこまで気づく人間は、おそらく全世界でこの映画を見る観客の1%にも満たないだろう。大半の観客は『シャイニング』風の音楽が効果音的に流れている、というくらいの認識で終わるのではないだろうか。
ザ・ニュートン・ブラザーズの仕事自体はある程度評価したいし、本作のサントラを前作『シャイニング』のサントラの"リコンポーズ”もしくは”リワーク”と考えれば、それなりに興味深い。しかしながら、本編のエンドロールを見ると、バルトークやリゲティやペンデレツキの名前はどこにもない。音楽著作権の問題を回避するため、敢えて原曲を使用せず、ザ・ニュートン・ブラザーズにこういう『シャイニング』風の音楽を書かせたのだろう、という”大人の事情”が透けて見えてくる。商業作品である以上、それはそれで仕方ないことだが、僕が残念に思うのは、万が一、本作を見てバルトーク・ピツィカートに驚き、トーンクラスターに背筋が凍った観客が「これはいったい何だろう?」と音楽に興味を抱いたとしても、原曲にアクセスする手段というか道筋が、全く用意されていないことだ。つまり観客が『シャイニング』を見てバルトークやペンデレツキを聴き始めたようには(小学生の時の僕がそうだった)、『ドクター・スリープ』はならないのである。
その点、スピルバーグは『レディ・プレイヤー1』での『シャイニング』の再現シーンにおいて、キューブリックが使用したのと同じカラヤン指揮のバルトークのDG盤の許諾をわざわざとって流していた。予算の規模の違いというより、映画の作り手の愛情の差を感じる。
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