柴田駿、ペーター・ハントケ、ブルーノ・ガンツが呼び起こすもの

柴田駿、ペーター・ハントケ、ブルーノ・ガンツが呼び起こすもの

フランス映画社創設者の柴田駿、2019年ノーベル文学賞受賞者のペーター・ハントケ、今年亡くなった名優ブルーノ・ガンツの3人を繋ぐ『ベルリン・天使の詩』と、音楽との関わりをめぐる随想
  • 前島秀国
    2019.12.16
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数時間前、ゴダールの元妻でもあった女優アンナ・カリーナ逝去の報道を目にした。享年79。歌手としての活動はともかく、『気狂いピエロ』をはじめとするゴダール60年代の傑作は、この人がいなければ生まれなかった。そのゴダールの作品を数多く紹介したフランス映画社創設者の柴田駿氏も、つい5日前の12月11日、78歳で亡くなった。大島渚に『愛のコリーダ』を撮らせるきっかけを与え、『旅芸人の記録』以降のテオ・アンゲロプロス監督のほぼ全作と、アンドレイ・タルコフスキー監督の『ノスタルジア』と『サクリファイス』を配給し、要するに80年代のニュー・アカ・ブームとミニシアター・ブームとセゾン文化と武満徹に、映画の側から絶大な影響を与えた最重要人物のひとりだった。

2013年、フランス映画社は当時入居していたビルのオーナー(「すしざんまい」の本社)と家賃滞納をめぐるトラブルを起こし、プリントを差し押さえられた上で、2014年東京地裁より破産宣告を受けた。あまりいい終わり方ではなかったが、少なくとも90年代までのフランス映画社は商業的にもヒット作に恵まれた。マイケル・ナイマンが音楽を担当した『ピアノ・レッスン』と、ヴィム・ヴェンダースが監督した『ベルリン・天使の詩』である。後者は、実は柴田氏自身が日本語字幕も手掛けておられたが、この映画のオリジナル版は(撮影当時まだ壁が存在した)西ベルリンの多国籍文化を描き出すため、ドイツ語、英語、フランス語、トルコ語、スペイン語、ヘブライ語、日本語のセリフ(モノローグ)を字幕なしで流すという、前代未聞の手法で作られている。柴田氏の字幕も、さすがに全部は訳していない。そこでまだ僕が学生だった頃、大学の図書館に頼んでこの映画の台本(ズーアカンプから出版されている)を購入してもらい、レンタルビデオを再生しながら台本を1ページごとにめくってみた。

本編をご覧になった読者なら、映画に出てくる天使たちが棲家にしているという設定で登場するベルリン国立図書館のシーンを覚えているだろう。そのシーンで、図書館の利用者たちが読み耽っているさまざまな書籍の一節が、ドルビーステレオのサウンドトラックを通してミュージック・コンクレート的に流れてくるのだが、出版されている台本には本編で使われた引用部分が全部記載されている。その中に、アルバン・ベルクとウェーベルンの往復書簡が含まれているのを発見し、仰天した。

この映画の台本をヴェンダースと共に執筆したのは、オーストリア人作家のペーター・ハントケ。かねてよりスレブレニツァの大量虐殺に疑義を呈し、2019年ノーベル文学賞を受賞したことで世界各国から大ブーイングを受けている、あのハントケである(日本のメディアは、日本人のノーベル賞受賞に水を差すと判断したのか、この問題をほとんど取り上げていない)。映画に話を戻すと、ハントケがベルクとウェーベルンの書簡を引用したのは、おそらく2人が彼と同じ国に生まれた作曲家だからだろう。ロック好きなヴェンダースの映画としては珍しく、『ベルリン・天使の詩』本編のスコアも実は新ウィーン楽派風の弦楽四重奏で書かれているが(作曲はユルゲン・クニーパー)、おそらくこれもハントケのアイディアではないかと思う。しかしながら、この映画でのハントケの最大の功績は、映画の随所で天使ダミエルが朗読する詩「Lied vom Kindsein(子供時代の歌)」の創作だ。その冒頭を引用する。

Als das Kind Kind war,
ging es mit hängenden Armen,
wollte der Bach sei ein Fluß, der Fluß sei ein Strom,
und die Pfütze das Meer.
子供がまだ子供だった頃
両腕をぶらぶらさせながら
小川が川に、川が河に
水たまりが海になればいい、と思ってた

この映画のハントケの詩で、ドイツ語の美しさに心打たれた人も多いはず。おそらく今回のノーベル文学賞受賞にも、直接的・間接的に影響を与えたに違いない。
そのハントケの詩を朗読した天使ダミエル役のブルーノ・ガンツも、今年2月に77歳で亡くなった。『ヒトラー 最期の12日間』のヒトラー役が大きな話題を呼んだ後、板東俘虜収容所でのベートーヴェン《第九》初演を描いた『バルトの楽園』でドイツ軍少将役を演じた時は、ずいぶんと仕事を選ばない俳優だと少々落胆したが、彼の真骨頂はやはりハントケの詩を朗読した『ベルリン・天使の詩』である。
ガンツは、アバド指揮ベルリン・フィルのベートーヴェン《エグモント》の劇付随音楽で語り手を務めたライブ録音をDGに残しているが、彼のCD録音で最も素晴らしいのは、ヘルダーリンとルネ・シャールの詩を朗読したECM盤『HÖLDERLIN』(1984)だ。『ベルリン・天使の詩』の朗読のトーンを音楽的・詩的に予告した『HÖLDERLIN』なくして、ハントケの「子供時代の歌」は存在し得なかったと思う。

子供が子供だった頃、音楽は音楽のまま、映画は映画のまま、文学は文学のまま楽しめばいいと思ってた。今はそういう時代ではない。
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