シューベルトとワーグナー、勝ったのはフンメル(ス)。

シューベルトとワーグナー、勝ったのはフンメル(ス)。

ヨーロッパ5大リーグで、ドイツが先駆けてシーズンを再開。ブンデスリーガ再開初戦のレヴィアダービー(ルールダービー)に響く蹴音を聞いて思ったこと。
  • 青澤隆明
    2020.05.17
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 さっきまでシューベルトとワーグナーの再会を観ていた。迎え撃つはフンメル(ス)。勝ったのは、そのドルトムント。ホームでのシャルケとのダービーを4-0の大差で制した。ドイツにおいてロックダウン解除が慎重に行われるなか、そうとう細かな対策を施した上で、無観客試合でのシーズン再開。おかげで、久しぶりにフットボールが観戦できた。

 姓が同じだけで騒ぐのは、ぼくがドイツに疎い証拠だろうけれど、ゴールキーパーがミスをして「シューベルト痛恨」とかアナウンスされると、やっぱりシューベルトは痛恨なんだなって思ってしまう。敗れたシャルケの監督がワーグナーだ。

 ふだんブンデスリーガは観ていないぼくでも、きょうの夜が指折り待ち遠しかったくらいだから、きっとあらゆるリーグのファンが中継を観ていたことだろう。芸術家の支援でも良き先行例を手早く打ち出したドイツはさすがだった。シーズン再開後の試合運営についても、感染対策について8章立ての分厚い規程集が迅速に編まれたということである。
 
 シーズン再開に関しては、選手やチームのコンディションや練習不足などが懸念されたが、それでも試合運営は滞りなく遂行されていった。ベンチは交替前後の選手も含めて、離れて座ったうえにマスク着用が義務づけられたりして、スタジアムの雰囲気が異様で奇妙な趣きだし、まだ選手たちも馴れていない環境下で、激しい接触プレーなども控えられ、どことなく全体に「距離」を意識した感じのゲームにみえた。もっともブンデスリーガを見慣れていないから、再開前とのレヴェルや質の差異や変化はぼくにはよくわからない。ゴール・パフォーマンスのディスタンシングもきっちり意識されていたし、勝利のチーム・セレブレーションも手を繋がないまま、無人の観客席に向けて、戸惑いながらなされた。

 そうしたなか、ふだんと大きく違うのはスタジアムの音響である。がらんとしたなかに、やたらと監督やスタッフの声が響き渡り、選手の声をかき消す応援もないから、ボールを蹴る音がけっこうな迫力と重さ、もっと言えば一種の凄みをもって迫ってくる。シュートスピードが速いゴールがネット裏の看板を叩いた音なんて、びっくりするくらい激しかったり。これまでも制裁による罰則下の無観客試合というのをいくつか観たことはあるけれど、そのときの感じとは事情がまったく異なるとはいえ、いずれにしても巨大なスタジアムが空洞というのは練習時よりも静かに感じられるものだろう。

 それで、ふと思い出していたのが、コンサートの一律自粛要請前に聴いた生演奏のことだ。ぼくが聴いた最新の演奏会は、3月25日に東京オペラシティでひらかれた上原彩子ピアノ・リサイタルということになった。スタッフの方々が細やかな注意を払って運営されるなか、客席も舞台も含め、一種異様に緊張した雰囲気のなかで、コンサートは開催された。モーツァルトとチャイコフスキーを交互に織りなしたプログラムだったが、ピアニストがふだん以上に人々と音楽を分かち合うことに特別な感興を抱いているだろうことも、ていねいな演奏の表情から直截に伝わってきて、忘れ難い演奏会になった。

 なによりも不思議な感じがしたのは、ピアノの響きがふだんとはずいぶん違う音場になっていたことだ。ひとつには自分自身の耳が久々のコンサートということもあっただろうけれど、払い戻し分も含めて空席が多くなったホールがいつもとは違う顔をみせて、音が吸われずに広々と鳴り響くのだった。スペースが空いているぶんだけ残響がたっぷりとして、いつもよりも音が生々しく、緊張感やら新鮮さなどいろいろの要素もあって、同じコンサートホールでもふだんとはずいぶん違う響きかたをした。物理的に音響が変わっていて、ゲネプロで聴く感じとの中間態みたいにぼくは感じた。

 いま欧米の模索を先行として、コンサート再開に向けてのガイドラインが考案されているという話題がさまざまに聞こえてくる。ホールの席数を3分の1に制限して客どうしの距離を確保するとか、舞台の上もマスク着用が望ましく出演者の数や配置にも制限がかかるとか、どうしたって表現様式的にも試算ベース上も難題にみえることばかりだ。とくにクラシック音楽のコンサートの場合、イヴェントとしての性質だけでなく、生の音の密度は最大の生命線である。

 まるで映画のなかでのように派手に響くサッカーボールの蹴音を聞きながら、そうしてコンサートのことを考えていると、背に腹はかえられないし、また背がなければ腹もないのだと思えてならなかった。
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