今朝の雨ノスタルジー(青澤隆明)

今朝の雨ノスタルジー(青澤隆明)

夜通しの雨、朝の雨。とりとめのない思い。ジャズのこと。
  • 青澤隆明
    2021.09.02
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 気がつくと雨が降っていた。雨の音で、目が覚めた。しばらく聞いていたら、雨はずっと降っていた。だから、ずっとぼうっとして、とりとめのないことばかり思い出していた。
 夜、雨の音を聞いているとなかなか眠れないものだが、朝もそうだ。ぼうっとした頭に、雨はどこまでもやさしい。

 朝の雨を聞いて、ジャズだ、と言ったのはHである。高校の同級生だった。おれの家はジャズだ、ジャズの原点はドシャ降りの曇り時々雨なのかもしれない、まわりじゅうがジャズになった、世界はジャズなのだ、と勝手な結論を出した。たしかそう書いていた。
 そんな記憶がどこから滲み出てきたのか。じつはずっと貼りついていた。そうだよなあ、とぼくもそのとき思ったからだ。ジャズにかぎらず、雨は最初の音楽のひとつだよ。

 などと、勝手なアドリブをひとり雨と交わしているうちに、ますます眠れなくなってきて、もうひと寝入りしようとしたのが、台なしになってしまった。この台なしな感じも、なし崩しな感じも、ある意味とってもジャズだ。古いスタイルの。

 で、卒業してまもなく、一度みんなで集まったことがあるだけで、Hとはそれっきりあっていない。思えば、高校までってじつに不可思議で、だってほとんど毎日会うのである。たまたま同年代で、たまたま地域が近いというだけで。高校になると、それまでよりちょっと地域が広くなって、隣の市まで広がって、ときどき学区外のやつもいる。で、Hはとなりまち藤沢の男だった。

 高校の頃、ジャズを聞いてる人は、まだクラスにほんの2、3人しかいなかった。もっといたかもしれないけど、それしかみつからなかった。これ、マイルスとかトレーンとかエヴァンスとかキース・ジャレットとかのことではなくて、ジャズというジャンルでいっても、たったそれだけだった。
 だけど、ストーンズにしたって、熱いのはIとGくらいだった。RCもそんな感じ。ボブ・マーリーやクイーンも。ボウイはべつのI、リゲティはKとだけ話した。ラフィンノーズとブルーハーツはファーストがメジャーで出てきて、けっこうみんなで聞いて騒いでた。友だちのほとんどがたいがい聞いてるようになるのは、もう少しだけ先の話だ。

 つまり、ちょっとずつを浴びるように聞いていた。兄や姉のいる人は、そのぶんけっこうもの知りで、いろいろと教えてくれた。でも、なんにせよ、まだまだ入り口に立っていたばかりで、知らないことだらけだったはずだ。
 そういえば、みんな気前よくレコードを貸してくれた。最後のほうはCDも出てきていたけれど、もっぱらLPだ。どれも大事なものだったはずだから、ありがたい話だ。で、ときどきはカセットテープ。もちろんダビングもした。
 いま思えば、それはパスみたいなものだった。出し手も受け手もハッピーだったと思う。だから、ある音楽はそれぞれ固有の友人の記憶とずっと結びついている。みんないいと思うから分けてくれるわけで、その意味では先輩だった。もちろん、自分でも、自分の好きを探していた。そして手渡した。なんだか、好きでいっぱいだった。

 そうした音楽家や曲の固有名詞には、まだ特別なにおいがあった。ますます執着したり、しだいに普通名詞になっていったりするのだけれど、それでもいまみたいに会う人の大半がしたり顔でマーラーやブルックナーを聞いているような状態ではなかった。クルタークやホリガーなんて、誰も知りはしなかった。いちいちが一大事だった。
 だけど、ほんとうはいまもそうなのだ。いろいろなことに飽きてきた気もするだけで、たいして変わってはいない。まだなんにも知りはしないのである。飽きれるような話。

 そして世界はいつまでもジャズのままなのだ。雨が降ってくる以上は、いまもまだ。また眠くなり、まだ起きているあいだは――。


 寝ぼけた頭で、そんなふうにぼくはただ綴っていた。雨はいつのまにやんだ。そして、ありふれたいつもの朝だ。
 と、書いていたら、また雨が降ってきた。そう遠くないところで工事の音が響いて、雨にまじる。ジャズである。

 そして、またやんだ。
 おはよう。おやすみなさい。 
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