ロマン派のいない夜

ロマン派のいない夜

夏の夜の夢にならないこと。
  • 青澤隆明
    2021.08.18
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 台風や前線の停滞で、ひどい雨が降っていた。それなのに、深夜から工事の音がしている。仮設電源を引いての作業のようだ。やがて雨は弱まったにせよ、それが夜通しで、当然人の声も混じってくるから、なかなか寝つけない。

 眠れない夜には、眠れない夜の過ごしかたがある。昨夜はただぼんやりと寝そべっていただけだ。しかし、工事の音は、音量こそ控え目であれ、昼も夜もさして変わるものではない。そう遠くないどこかで、なにかが削られ、なにかが組み立てられようとしている。それも、目にみえないところではなく、おそらく人工的に照らされた強い明かりのなかで。

 都会に住むなら、それはいたしかたないことだ。騒音とともに暮らすのが前提にもなる。現にいまは、天気雨ふうの豪雨のあとで、すっきり晴れて陽も出ているけれど、蝉の音よりもずっと大きく、べつの工事のノイズに救急車のサイレンが混じって聞こえる。こうなるともう、夏の夜の夢も、白昼夢もあったものではない。

 さて、ぼくたちがいまクラシック音楽として聴く作品の大半は、こうした賑やかな静寂を前提としていたものではない。静寂の質が変われば、響きの質も変わる。余白が変わり、地が変われば、それと乗じて、柄も変わる。調和の世界のファンタジーであればなおさらだが、そのファンタジーそのものが変質する。社会の変化という以上のことが、人々の感覚や知覚に遍く作用していて、むしろそれこそが時代の変化だとみられる。都市の喧騒がなければ、ジャズもロックもヒップホップも、それ以降もなかった。おそらくストラヴィンスキーもジョン・ケージもああではなかった。

 照明が街中に浸透するようになってから、都市部での暗闇は薄れていった。白夜のことは、ぼくは知らない。ここでは、人工的な薄明かりが、いつでもぼんやりと空を曇らせている。

 あるはずの夜が影を薄くなると、当然あらゆる事物の影もまた薄くなる。かといって、夜通し起きているからといって、ずっと夜を生きているというわけでも、おそらくずっと目覚めているわけでもない。夜が追放されれば、そこを根城とする想像力が弱まる。さんざん言われてきたことだ。そうして、想像力は変容するだけでなく、やはり薄まり、希釈される。少なくとも、かつてのような夜の想像力は魔力を奪われ、べつのかたちの想像力にすり替えられるだろう。生きづらいのは夜だけではないにしても。

 だから、現代の夜には、ロマン派は生きられない。ロマン派のいない夜に、ぼくは小さくあくびした。
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