夏の音楽。

夏の音楽。

暑い盛り、ベートーヴェン聴けば、やけにカレーが食べたくもなる。
  • 青澤隆明
    2020.08.18
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 夏は暑くて当然で、それでこそ夏だとはいえ。いくらなんでも暑すぎて、溶けてしまいそう。アイスクリームだってすぐ溶けてべたべたなのに、ぼくなんて溶けたら、きっとくさいだけだ。

 でも、偉大な作曲家たちは、けっこう夏に集中して創作の筆を進めていたという話だから、やはり、やる気のないだらけた人間とは出来も切迫性も決定的に違うのだと、熱波のなかでぼんやりと思う。

 かといって、この猛烈な暑さが手加減してくれるわけもなく、避暑地に出かける身分でもご時勢でもないので、クーラーに頼ってじっと動かないようにしているのが関の山である。それでも、秋とか冬とかよりも物理的に時間はあるから、なにかをまとめて進めるにはいい時分ではある、なんて、わかっちゃいるけど、どうにもこうにも。

 それで、この日記も自然に夏休みの風情でしばらく空いてしまったけれど、湖や川や森がみえるところで気分よく過ごせていたわけではなく、日々にさしたる違いもないのだった。mediciでやってるヴェルビエ音楽祭を眺めたりしていた。

 マーラーみたいに巷でもいろいろ忙しい人は、この時期こそ作曲小屋に籠り、夏の生命力をエネルギーに変えていたのかもしれず、そういう発電法をなんとかマスターできればよいが、それは難しいもので。ブラームスのように山間を歩いたりして、自然の霊感を喜ばしく受けたりとか、してみたいものです。そうして、自然の命は燃え盛っているというのに、ぼくはただ弱々しいだけみたいな、情けない話になってきた。それでは困る、べつに困りはしないが。

 そんななか、昨日も今日も、昼間からベートーヴェンのピアノ・トリオを聴いていて、op.70の2曲のレコーディングなのだが、これがまたたいそう熱い。おそらく季節も夏だろうが、作曲家が人生の夏のさなかだったから、季節や天候ばかりのせいにはできない。夏に書かれた音楽には、どこかにその温度、熱や陽光が籠っているのだという気もするし、ときどきそういうことを儚く想像してみたりもするのだが、そもそも天才とは平熱というか基礎体温が違うのだろうから、そこはやっぱりなんとも言えない。でも、どこか夏くさい気は残る。怪談話という連想ではなく。

 この2曲のピアノ・トリオは、どう言ってみたところで傑作である。くり返し聴いていたら、夕方にはどっと夏の疲れが出そうになった。作品の熱気もあるし、演奏の熱量もあるし、なんといってもロマンと情熱が滾っている世界だ。こちらの体力が相応にないともたない。

 ベートーヴェンが1808年にこの2曲に取り組み、12月に初演されたことは知られている。その夏にも静養していたハイリゲンシュタットで筆を進めたのかどうかはおいても、交響曲第6番の作曲と近い時期である。ベートーヴェン、37歳。真夏の盛りだ。『マクベス』の魔女たちがやってくるとか、こないとか。そう言えば、ハイリゲンシュタットというのは古くから「聖なる町」なのであった。暑くなるとカレーを食べたくなる。
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