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もはや笑うしかない。だが、最後まで笑い続けられるか。-『デッド・ドント・ダイ』を生き延びて

もはや笑うしかない。だが、最後まで笑い続けられるか。-『デッド・ドント・ダイ』を生き延びて

ジム・ジャームッシュの新作『デッド・ドント・ダイ』の試写にいった、死者ではなく。懐かしくも新手のゾンビ・コメディのタイトルがいうには、The Dead Don't Die 死者は死なない。ならば、生者は生きているか?
  • 青澤隆明
    2020.02.28
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 昨日の午後のことだが、『デッド・ドント・ダイ(The Dead Don’t Die)』の試写をみにいった。ジム・ジャームッシュが一作前のドラキュラ映画に続いてゾンビ映画を進めているとだいぶ前にきいて、ずっと楽しみにしていた。またまたジャンルを混ぜっかえしつつ、変わらないことを言い続けるのだろうと思った。つまりは、コミュニケーションのあらかたの断絶と逆説的な信頼、そして物質社会へのエレガントな反骨である。そこには当然、諦観と肯定が入り混じってくる。タイトルどおり、とんだ3Dであるが、さらに別の次元も加わってくる。

 ジャームッシュ・ファミリーが次々と惜しみなく登場するゾンビ・コメディだ。ビル・マーレイなんて、立っているだけでもう『ゴーストバスターズ』である。相方は、『パターソン』に続く登場となったアダム・ドライヴァー。山にはトム・ウェイツ演じる世捨て人ボブがいて、ダイナーをやっているのはエスター・バリントである。ザックはいるのにジャックはいないが、あとで役名としてふたりそろって出てくる。セレーナ・ゴメス演じるゾーイとのトリオで。
 サラ・ドライヴァー、イギー・ポップが最初のゾンビ・カップル。しかもコーヒー好きだ。スティーヴ・ブシェミやRZAも出てくる。もうひとりの警官がクロエ・セヴィニー。超然としたティルダ・スウィントンも含めて、ほとんどがあて書きであるに違いないが、姿をみせるだけで楽しいし、笑みが零れる。全篇がそうしたもので、要するに、ぜんぶおかしい。

 公開が春先なので、ここではストーリーについては触れないが、それは予告どおり、ひどい結末になるだろう。もはや笑うしかない。笑い続けていられるか。だが、死者は笑わない。笑っていられるのは、生きているあいだだけだ。

 ゾンビというのはもちろん、あらゆる疫病の感染のメタファーでもある。だからここでも、まずはジャームッシュに一貫する、物質文明と消費社会への反逆がわかりやすくコミカルに含まれる。蘇る死者たちへの恐怖は、みえないものへの恐怖とは違う。しかし、この映画で、死者を蘇らすのは地球環境の無茶な破壊と、人間の消え去らない物欲なのである。
 けれど、みえるとみえないとで、ほんとうはどこに違いがあるのか。脅えたり、恐れたりすることが、より現実化してみえるかどうかということのほかに。それよりも、もう気づくまえから、とっくにゾンビになっていることのほうがずっと怖ろしい。「死者は死なない」この映画のなかでも、それを逃れている登場人物もごくわずかにいる。そうした主題を、これほど明快に、とぼけた人間味をもって、しかし突き放してクールに示すのが、ジャームッシュ一流の語り口である。
 
 音楽について特筆すべきはまず、同名の主体歌をスタージル・シンプソンが見事なカントリーにまとめていること。歌詞も美しく、書き下ろしのオリジナルなのだというが、むかしからあった歌のように聞こえる。それこそ、ジョージ・A・ロメロの映画のもっと前からあるみたいで、しかもなにがあってもスタイリッシュに超然としている。全体の音楽は、『オンリー・ラヴァーズ・レフト・アライヴ』、『パターソン』に続いて、ジャームッシュが自身のバンドSQÜRLでつくっていて、しっかりとした手ざわりで映像を支える。エレクトリック・ギターが鳴るだけで、ジャームッシュの質感が色濃くなる。

 暗がりから出て、最初に口をついて出たのは、みんな歳をとったな、というひとことだった。まずはジム・ジャームッシュのこと。スクリーンの懐かしい面々もそうだし、それを観ているぼくたちもそうだ。それでもまだ生きている、笑えないものを笑いながら、どうにか。
 映画の帰りみち、外濠を歩いていると、ふだんとは違う、不思議な感じがした。まるですっきりと取り残されたような気分だ。人気の少ない東京は、よく晴れて、まだ冬の寒さがあった。
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