ケルアックの運命、あるいは、路上のベートーヴェン - A Beethoven on the Road

ケルアックの運命、あるいは、路上のベートーヴェン - A Beethoven on the Road

あなたと本と音楽と。ジャック・ケルアック、ベートーヴェン、オン・ザ・ロード、チャーリー・パーカー、メキシコ・シティ・ブルーズ…
  • 青澤隆明
    2020.05.23
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 ジャック・ケルアックの『オン・ザ・ロード』は、アメリカ文学の分野だけでなく、20世紀後半における決定的なライティングのひとつだろう。ぼく個人にとってはまさに特別で、21歳の夏に読んだペーパーバッグは、かなり茶色くなってもまだ熱を放っている。ビート・ジェネレーションの代表格と目されたケルアックの小説や詩をその頃、次から次へと読んだが、やっぱり『オン・ザ・ロード』が最高だ。

 ケルアックというと、ビート・ポエットらしく、表現のスタイルも時代的にもジャズとの関連が深い。そして、自分をジャズ・ポエットとみなしていた。チャーリー・パーカーのことは、『メキシコ・シティ・ブルーズ』の終盤のコーラスにも謳われているし、デイヴ・ブルーベックのこともべつのところで詩にしている。これらの“ポーム”はスティーヴ・アレンのピアノ伴奏で、ケルアックの自作朗読がレコードにもなっていて、彼のスポークン・ワーズにアル・コーンとズート・シムズが絡むトラックもある。ケルアックのライティングからしてそうだが、彼自身の声によるリーディングともなると、目の前で音楽が即興的に生まれていくのを聴くようで、耳にも快い喜びだ。

 チャーリー・パーカーを讃えるコーラスのなかに、「音楽的にはベートーヴェンとおなじくらい重要だ、けれどそんなふうにはちっともみられていない」と歌われている。その響きは耳が覚えているけれど、はたしてベートーヴェンというのがケルアックにとってどれくらい重要なのかは、この詩だけではちょっとわかりづらい。Beethovenという語感が、ビート感があるから自然と出てきたのかとも思う (BeethovenとBeatの響きが近いのはみんな知ってる)。後世のぼくたちにとってみればむしろ、ベートーヴェンをチャーリー・パーカーほどに評価していることのほうが、ことによったら驚きに近いかもしれない。

 しかし、べつの詩集に収められた履歴書ふうのライティングで、ケルアックはこんなふうに記している。学生時代のケルアックがアメリカン・フットボールの選手だったことはよく知られているとおりだ。「高校時代は、フットボール、これが私をコロンビア大に(スカウトで)導いた、けれど私は書くためにフットボールをやめた (なぜってある日の午後、スクリメージのまえに、ベートーヴェンの第五交響曲を聴いたからで、雪が降り出していて、私は自分がアスリートになるのではなくベートーヴェンになりたいとわかったからだ)・・・」。

 そして、18歳のとき最初の真剣なライティングをし、3年をかけて最初の長い小説『タウン・アンド・シティ』を書き、つぎに『オン・ザ・ロード』を書いて・・・というふうに生きていくことになった。文字どおり受けとめるなら、ケルアックはベートーヴェンになりたかったのである。それから、彼のタイプライターのビートは、チャーリー・パーカーのブロウにも繋がっていった。

 ベートーヴェンはあらゆる人のドアを叩きまくったに違いないけれど、そうしてフットボール・ヒーローの道を逸れた青年は、自分自身のリズミックな言葉で、世界じゅうの路上の魂を叩くことになったのである。Beat goes on....
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