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佐藤征一郎が拓くレーヴェのバラードの世界

佐藤征一郎が拓くレーヴェのバラードの世界

新譜CD《カール・レーヴェのワンダーランド》 佐藤征一郎(バス・バリトン)、長岡輝子、岸田今日子、中山節子(朗読)ほか ライヴノーツWWCC7921~3
  • 寺西基之
    2020.05.29
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  ドイツ・ロマン派のリートの歴史においてきわめて重要な役割を果たしたカール・レーヴェ。彼は生涯にわたって夥しい数の歌曲を作曲した。長命だったことで歌曲の作曲時期も長く、それはシューベルトからシューマンやブラームスへと連なるドイツ・ロマン派リートの確立と発展の時代に重なっている。とりわけ物語的もしくは叙事的な劇的性格を持ったバラード(バラーデ)のジャンルにおける表現の可能性を追求した点は彼の大きな功績で、詩の情景を巧みに音化し、変化に満ちた通作的な手法のうちにライトモティーフ的な手法を用いて物語を描くその劇的な手法がドイツ・リートの展開に与えた影響は多大なものがある。
それにもかかわらず、今日レーヴェの歌曲は一般に取り上げられる機会が少なく、シューベルトやシューマンの影に隠れてしまっているといって過言ではない。それは本家ドイツにおいても、あまり変わりがないようだ。そうした中でレーヴェに惹かれ、生涯かけてその作品の紹介に努めてきたのがバス・バリトンの佐藤征一郎である。彼は1985年の第1回を皮切りに長年にわたってレーヴェ連続演奏会を開催する一方で、レーヴェ研究に力を入れ、その功績ゆえに2014年にはドイツ国際カール・レーヴェ協会の名誉会員となっている。この名誉会員に推挙されたことがいかにすごいかは、それまでの声楽家会員がヘルマン・プライ、テオ・アダム、クルト・モル、ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ、ペーター・シュライアー、ローマン・トレーケルという傑物揃いで、佐藤がそれに続く7人目、しかもドイツ人以外では初めての推挙だったことからも明らかといえるだろう。それほどの国際的評価を得るほどに佐藤はレーヴェに注力してきたのである。
私自身も初めてレーヴェの作品に接し、その魅力を知ったのが1980年代後半、彼のレーヴェ連続演奏会においてだった。それだけに、今回その連続演奏会のうち1985年から1990年までの歌唱を集めた3枚組のCDアルバム《カール・レーヴェのワンダーランド》が出されたことは喜ばしいかぎりである。バラードは特に詩の内容が重要なことから、これらの演奏会では各曲の演奏の前に詩の日本語訳が長岡輝子と岸田今日子といった大女優によって朗読され(長岡が急病の1986年11月の回は声楽家の中山節子が代役)、それもこのCDにはきちんと収められている。
改めてこれを聴いて、当時壮年期だった佐藤の歌唱の充実ぶりを再認識させられた。バス・バリトンらしい深みのある声を生かしつつ、詩の精髄に迫りながら、全体の音楽的流れと展開をしっかりと捉え、動機への綿密な配慮などこまやかな表現の彫琢をとおして、それぞれのバラードの世界を生き生きと表出している。ケルナーの詩による「ヴァルハイデ」など、演奏時間が27分に及ぶ大曲だが、ぞっとするような結末を迎える幻想的なゴシック風の物語の展開が、表情豊かに歌い上げられていて、聴き応え充分。やはり似たような結末へ至るゲーテの詩による「魔王」でも、同じ詩による有名なシューベルトの曲とは異なるレーヴェ独自の語り口や陰影のある表現法を、佐藤の歌唱は明晰に示している。3枚とおして、詩に応じたレーヴェのドラマティックな書法の多様さが浮かび上がってくるアルバムといえよう。
佐藤自身が執筆した大部なライナーノートも特筆しておきたい。曲目解説が収録曲全曲でないのは残念だが、その分重要な曲の解説が実に詳細で、それをとおしてレーヴェの音楽の本質を解き明かしている。演奏者としての視点と学究的なレーヴェ研究者としての視点が結び付いたこの解説を読んで、佐藤の手による本格的なレーヴェ研究書を期待したくなるのは私だけではないだろう。
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