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2つの「冬の日の幻想」~聴き比べの楽しみ

2つの「冬の日の幻想」~聴き比べの楽しみ

ヴァレリー・ポリャンスキー指揮九州交響楽団(12月11日アクロス福岡シンフォニーホール)VS.パブロ・エラス・カサド指揮NHK交響楽団(12月12日サントリーホール)
  • 寺西基之
    2019.12.20
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 オーケストラやオペラの公演において同じ曲目や演目が日を接して重なることはよくある。この秋には来日オケによるマーラーの交響曲第5番が続いたし、またティーレマン&ウィーン・フィルとメータ&ベルリン・フィルのブルックナーの第8番対決もあった。たしかにマーラーの第5やブルックナーの第8のような、今や世界的にオケの主要レパートリーになっている曲ならこうした事態も頷けよう。しかしふだんそれほどは取り上げられない作品でもそうした現象が起こる場合がしばしばある。主催団体が意図したわけでないにもかかわらず、ふたを開けてみたらそうなっていたということがなぜか多いようで、例えばこの10月から11月にかけてはショスタコーヴィチの交響曲第11番が井上道義&N響、沼尻竜典&東響、インバル&都響(私は聴きそこなったのだが)と続けざまに演奏されたことは記憶に新しい。
このように同じ曲が他団体と重なることは、主催する側にとっては集客という点であまりありがたくないようで、そのことは充分理解できる。しかしこれは逆にみれば同じ作品を違う演奏で聴き比べるまたとない機会でもある。上述のブルックナーの第8対決も、ウィーン・フィルの艶やかな音を生かしつつ、テンポとダイナミクスの変化と揺れのうちにヴァーグナーの楽劇のようなうねりのあるドラマを作り出したティーレマンに対して、メータはベルリン・フィルからこのオケ本来の厚みと重みのある響きを引き出しながら、イン・テンポを基調としたどっしりとした運びで揺るぎのない壮大な大伽藍を築き上げるというように、まったく対照的なブルックナーの世界を味わうことが出来た。かかる聴き比べの楽しみは、馴染みのない曲ならよりいっそうその作品に親しみが持てるようになるチャンスだろう。たまたま曲が重なったときは、主催者どうしむしろそうした面白さをともにアピールしていくことで集客につなげていくような発想も大切かと思われる。

 前置きが長くなったが、去る12月11日と12日、2つのオケで聴いたチャイコフスキーの交響曲第1番「冬の日の幻想」も、その点で非常に興味深いものがあった。ひとつはアクロス福岡シンフォニーホールでのヴァレリー・ポリャンスキー指揮する九州交響楽団の定期、もうひとつはサントリーホールにおけるパブロ・エラス・カサドが指揮するNHK交響楽団の定期での演奏会である。このチャイコフスキーの第1番は最近でこそ時々取り上げられるようになってはきたものの(この前の週には東京文化会館でゲルギエフもマリインスキー劇場管弦楽団を振ってこの曲を演奏している)、後期の3曲の交響曲に比べれば演奏頻度はまだまだ低い。そうした曲を2日にわたって聴くことができ、しかもその2つの演奏がまったく違う作品であるかのように響いたのがとても印象的だった。
 この作品はチャイコフスキーの交響曲の中でもとりわけロシアの風土を感じさせるもので、第1楽章冒頭からあたかも冬のロシアの風景が広がるかのような、雰囲気豊かな描写性を持っている。そうしたこの作品の魅力を存分に堪能させたのがポリャンスキー&九響の演奏だった。このロシアの指揮者が日本のオケを振るのは初めてのこと、しかもロシア語しか話さないらしくリハーサルも通訳を通してということを事前に耳にしたので、果たして意思疎通がうまくいくのかと心配していたのだが、さすがは老練の名匠、九響からまさにロシア的といってよいどっしりした重々しい響きを引き出しつつ、チャイコフスキーらしいたっぷりとした息の長い歌いまわしによって情感と起伏に満ちた雄大な世界を作り上げたのにはただただ舌を巻いた。第2楽章の後半、主題をホルンが朗々と吹いていく箇所の悲劇的な翳りや、終楽章のコーダで引きずるようなゆっくりとした歩みがじわじわと盛り上がって、地響きがするかのような圧倒的な音圧による終結へと導いていく様など、まさにロシアの大地を思わせるものがあり、ロシアの伝統に根差すポリャンスキーの棒に九響が見事なまでに応えての名演に結実したのである。
 それに対して翌日聴いたカサド&N響の演奏は、冒頭からして実に爽やかで風通しがよい。広大なロシア的雰囲気は希薄で、快速に躍動感あふれる運びで音楽が進んでいく。“陰鬱な地、霧の地”と表記された第2楽章も、その澄んだ響きは清々しさが漂い、ポリャンスキーが強調した後半の悲壮なホルンの箇所もカサドの手にかかると実に明快そのもの。終楽章も颯爽とした前進性が何とも壮快で、エンディングも華やかだ。ロシア情緒のかけらもない演奏といってしまえば身も蓋もないが、むしろそうしたアプローチだからこそ見えてくるものがある。ポリャンスキーのようなロシア的なマッシブな響きを志向する演奏では聴きとれなくなるような、細部の音の動きや重なり具合など、スコアの音符がはっきりと浮かび上がってきて、それが実に面白い。特に第4楽章のフーガ風の箇所は線の絡みが明確に浮き彫りにされ、初めての交響曲でポリフォニックな書法を導入しようというチャイコフスキーのチャレンジングな姿勢が(いまだ必ずしも成熟していない筆遣いとともに)明らかにされて、まことに興味深かった。ことさらロシアという背景にこだわることなく、チャイコフスキーのスコアの音と向き合うことから作品を捉えていくこうした行き方は、もともと近現代の音楽を得意とするとともにピリオド系のアプローチまでも視野に入れているスペイン人指揮者カサドならではといえるだろう。前日に聴いた同じ曲の残像が耳のうちに残っていただけに、なおいっそうカサドのそのような美質が際立って感じられ、新しい発見をもたらしてくれたのであった。
やはり聴き比べは楽しい。
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