アンネ=ゾフィー・ムター 公開マスタークラス with サントリーホール室内楽アカデミー 2020年2月21日サントリーホール・ブルーローズ

アンネ=ゾフィー・ムター 公開マスタークラス with サントリーホール室内楽アカデミー 2020年2月21日サントリーホール・ブルーローズ

ムターによる公開マスタークラス 彼女の音楽作りと人間性が現われ出た充実のひと時
  • 寺西基之
    2020.03.02
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 去る2月21日、アンネ=ゾフィー・ムターの公開マスタークラスがサントリーホールのブルーローズ(小ホール)で開催された。世界のヴァイオリン界の頂点に立つ大物アーティストのマスタークラスとあってとても興味があったのだが、そうした期待をもはるかに上回る充実した内容で、またムターの人柄も伝わってくるすばらしいひと時となった。
 受講生はサントリーホールの室内楽アカデミーのメンバー。マスタークラスといっても、一般によくあるような、受講生に演奏させて注意を与え、時々お手本を弾いてみせるといった一方通行のレッスン形態とはまったく違って、ヴィヴァルディの『四季』の「春」と「冬」を、ムターが自身ソロ・パートを受け持ちながら受講生たちと一緒にアンサンブルを作っていく中で、音楽的・技術的なアドバイスとサジェスチョンを与えていくという形である。
 このヴィヴァルディの『四季』の演奏にあたってムターは、ストーリーを表現するためのイメージの豊かさが大切であることを説く。作品がソネットの内容を描写した標題音楽なのでそれは当然といえば当然だが、例えば「春」の第1楽章の鳥の歌、第2楽章の犬の吠え声など、どのようにイメージを膨らませ、それをいかに音にしていくか、的確にアドバイスしていく。といっても決して、このようにしろと押し付けるようなことはしない。第2楽章のヴィオラの犬の声にしても、犬の吠え方は一律ではないことを述べ、弓を当てる角度、弓のスピードや量をいろいろ変えて試みることを提案、奏者自らに工夫させるといった具合だ。
 またヴィブラートにしても、バロック音楽なのでヴィブラートは控えめにすることを前提に、その中でどこでどのようにヴィブラートを用いていくのかの判断をそれぞれに考えさせていく。ヴァイオリン・ソロの歌を通奏低音だけが支えるような箇所で、通奏低音のチェロ奏者に対して、ヴァイオリンの旋律を自然に浮き立たせるためにノン・ヴィブラートで弾くことをアドバイスするなど、長年の実践経験で得たと思われるノウハウも伝授する一方、チェンバロ奏者にも即興的に音を加えてみることを提案するなど、生きた音楽表現とそれと結び付く技術的な奏法についての様々な角度からの助言は、とても示唆に富む有益なものだった。
 そうしたムターの提言に敏感に反応して、受講生たちのアンサンブルがまたたく間に豊かな表情を加えていったのが興味深かったが、わずかな時間でのそのような彼らの変化は、ムターのアドバイスが明快かつ具体的だったからであることはもちろんのこと、いわゆるマスタークラスにありがちな先生対生徒といった上から目線で教えるのでなく、受講生の自発性を重んじながら、ともに音楽の表現を探求して曲を作り上げていこうとする彼女の姿勢がもたらしたものといえよう。彼女自身、子育ての経験が演奏家としての自分をさらに成長させたことにも触れていたが、今回のマスタークラスでみせた人間的な度量の広さとそれに発する豊かな音楽表現の追求の姿勢は、そのような彼女の人生体験と結び付いたものであるに違いない。終始にこやかさを絶やさず、最後に設けられたQ&Aコーナーでも、客席から出たやや場違いな質問にも適切に答え、またヴァイオリンの顎当てについて質問した小さな子供にもその理由を丁寧に説明した上に「将来あなたの演奏を聴かせてね」と優しく応じていたのがなんとも印象的だった。
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