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パフォーミング・アートとしてのシネマ・コンサートの面白さ

パフォーミング・アートとしてのシネマ・コンサートの面白さ

今回の『ターミネーターLIVE』世界初演の東京公演2回と、それに先立って行われた2日間のリハーサルの過程をすべて見せてもらって、いろいろと学ぶことが多かった。
  • 前島秀国
    2020.02.17
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音楽ジャンルのひとつとして定着しつつあるシネマ・コンサート(映画本編をそのまま上映しながら、その映画のために書かれたオリジナル・スコアを生演奏する)は、『スター・ウォーズ』のようなフル・オーケストラから『サスペリア』のゴブリン(イタリアのプログレ・バンド)まで、さまざまな形態で演奏される。オリジナル・スコアの編成が小さすぎるからという理由で、あるいは実演で再現しにくいからという理由で、下手にアレンジを施したり、音楽を変えてしまったら、元の映画のサントラと大きく異なってしまうので、作曲家本人が了承しない限り、原則的に音楽を変更することは出来ない。それに、映画そのままに音楽を演奏するだけなら、元の映画を爆音上映したほうがよっぽど素晴らしいという場合もある。『スター・ウォーズ』を生演奏するなら、最低限でもサントラ録音で演奏したロンドン交響楽団のレベルに達していないとフラストレーションを感じてしまうだろう。そういう意味で、なかなか難しいジャンルである。

なので、実演でなければ味わえない“プラスα”の要素があったほうが、シネマ・コンサートはより成立しやすくなるのではないかと、個人的には考えている。その“プラスα”はケース・バイ・ケースだが、例えば『サイコ』のクライマックス・シーンでバーナード・ハーマンが書いた未使用の音楽を復活させて演奏する形でもいいし、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』のように作曲家のアラン・シルヴェストリ本人がシネマ・コンサート用に新たな楽曲を追加作曲する形でもいい(これらは実際に日本でも演奏された)。ただ、いずれの場合も、基本的にはオーケストラで演奏されるので、映画のオリジナルとどこがどう変わっているのか、観客が視覚的に気付くことはほとんどないだろう。そもそも、観客の視線はスクリーンに集中しているので、座って演奏しているオーケストラを見ることはないからだ。

今回の『ターミネーターLIVE』は、作曲者のブラッド・フィーデル本人がかなり細かいメモを送ってきたので、事実上の改訂版というか、ニュー・ヴァージョンの演奏である。そういう意味で、すでに“プラスα”の要素はクリアしているのだが、それだけでなく、通常のシネマ・コンサートで軽視されがちな演奏者のパフォーマンス(の視覚性)を全面に押し出した。特に、サントラではあまり目立たなかったエレクトリック・ヴァイオリンの演奏が、今回ソロを担当したリジー・ボール Lizzie Ballの活躍によって、大きな見せ場(聞かせ場)のひとつに生まれ変わった点は、特筆しておいていい。超合金の骨格を剥き出しにしたターミネーターが主人公たちを執拗に追いかける終盤のシーンでは、ディストーションのエフェクトを思い切りかけた彼女のヴァイオリンがターミネーターの骨格の軋みを見事に表現していただけでなく、今回の『ターミネーターLIVE』に際して新たに書き加えられた”悪魔のヴァイオリン”風の不協和音の演奏が、ターミネーターの邪悪な性格をよりいっそう強調することに成功していた。

そして、これは全く予想もしていなかったのだが、髪を振り乱しながら熱演する彼女の立奏を見ていると、この映画でジェームズ・キャメロン監督が描いたヒロインの活躍が、彼女の演奏にオーバーラップしてくるような錯覚を覚えた。つまり、スクリーンの中でもステージの上でも”強く逞しい女性”が強烈な存在感を発揮していたのである。それゆえ、今回ヴァイオリン・パートを女性に演奏させたのは、キャメロン監督の演出意図を踏まえた素晴らしい判断だったと思う。もちろん、その判断は彼女の体当たりの力演を前提にして初めて意味をなしてくるものだが。

最低でもオリジナルのサントラと同じか、それ以上の演奏を達成して初めて感銘を与えることが出来るシネマ・コンサート。そこに、演奏者のパフォーマンスの視覚的な面白さという“プラスα”を加えた『ターミネーターLIVE』は、今後のシネマ・コンサートのあり方を示唆するような野心な試みだったと思う。


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