ふたりの“S”――坂本龍一とショスタコーヴィチ

ふたりの“S”――坂本龍一とショスタコーヴィチ

川久保賜紀 遠藤真理 三浦友理枝トリオ 結成10周年記念コンサートを聴いた後に思い浮かんだ、坂本龍一とショスタコーヴィチを繋ぐ共通項。
  • 前島秀国
    2019.12.29
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さる12月25日、川久保賜紀 遠藤真理 三浦友理枝トリオが坂本龍一とショスタコーヴィチの作品を一晩で弾くコンサートを紀尾井ホールで聴いた。トリオ結成10周年記念として発売されたショスタコーヴィチの作品集(ピアノ・トリオ第1&2番+2つのヴァイオリンとピアノのための5つの小品)と、坂本の作品集(教授自身が『1996』などのためにアレンジした譜面を借りて演奏)のCDリリースと連動した企画である。僕はいろんなところに文章を書かせていただいた関係上、演奏や録音を批評できる立場にないので、CDライナーやプログラムノートには書かなかったこと、つまり今回の演奏や録音とは直接関係がないけれど、知っておいたほうがより理解が深まることを、ここに書き残しておきたい。

偶然にも名字に同じイニシャルを持つ教授とショスタコは、共に映画音楽作曲家としても活躍している(活躍していた)という共通項を持つ。『ラストエンペラー』の音楽で教授がアカデミー作曲賞を受賞(デイヴィッド・バーン、蘇聡と共同)したのは皆さんご存知の通りだが、実はショスタコもオペラ映画『ホヴァンシチナ』でアカデミー編曲賞候補となっている(受賞したのはなんと『ウエスト・サイド物語』)。

映画音楽というのは非常に複雑な要素を抱えており、昔も今も作曲家が“お仕事”として引き受けるケースが少なくない。教授に関しては、かなり早い段階でオスカーを獲ったこともあり、比較的慎重に作品を選んでいるが、それでもエージェントの言い分に従い、不本意ながら引き受けた映画もいくつか存在する。ショスタコに関しては、悪名高い『ベルリン陥落』をはじめ、数々のプロパガンダ映画のための音楽を相当数引き受けている。だからといって、それらの音楽を、アーティスト個人の表現とは異なる商業音楽だとバッサリ切り捨てられないのが、映画音楽の難しいところである。そうした音楽においても、ユニークな表現が試みられていたり、作曲家個人の作家性が明瞭に現れている場合があるからだ。

とはいえ、原則的に次のようなことは言える。「名画に名曲は不可欠だが、駄作に名曲がつくことはありえない」。つまり、どんなに音楽が良くても、映画本編がひどければ、音楽で映画を救うことは不可能なのである。例外として、エンニオ・モリコーネのようなイタリアの作曲家たちの映画音楽が思い浮かぶが、結果として世界中で愛されているのは『ニュー・シネマ・パラダイス』であり『続・夕陽のガンマン』であって、決して『ティント・ブラス/秘蜜』(後述の『夏の嵐』をナチ時代に置き換えたポルノ映画)ではない。

教授の映画音楽とショスタコの映画音楽を比較した場合、音楽語法や作曲スタイルの違いは当然存在するとしても、前者が圧倒的に名画に恵まれ、後者がごくわずかな名画にしか音楽を付けていないという事実が如実に浮かび上がってくる。例えば、ショスタコが手掛けた映画『馬あぶ  The Gadfly』の《ロマンス》という曲が、その美しいメロディゆえ、近年演奏の機会を増しているけれど、いくらショスタコ熱が現在以上に高まったと言っても、決して《メリー・クリスマス・ミスター・ローレンス》以上に演奏され、愛聴されることはないだろう。どちらの音楽が優れているかとか、そういう問題ではない。『馬あぶ』を英語字幕版で見たことがあるが、実態はヴィスコンティ『夏の嵐』を強く意識した歴史ロマンス(時代設定も全く同じ)で、映画全体を通して見ても、不幸なことに音楽の印象はほとんど残らなかった。『夏の嵐』でブルックナーの交響曲第7番~第2楽章を“愛のテーマ”のように執拗に流し続けるほうが、よっぽど効果的だし、実際強く印象に残っている(編曲をなんとニーノ・ロータが手掛けている)。つまり、『馬あぶ』が映画として弱すぎるのだ。

では、ショスタコの映画音楽は、すべて駄作に付いているのか? いや、例外がちゃんと存在する。グリゴリ・コージンツェフ監督がシェイクスピアの原作を映画化した『マクベス』と『リア王』だ。2本ともロシア映画史を語る上で欠かせない名作中の名作なので、ショスタコ・ファン、シェイクスピア・ファンならずとも一度はご覧頂きたい。2本のうち、個人的に感銘を受けたのは『リア王』のほうである。

狂王リアが嵐の中を彷徨うシーンを例に挙げれば、ショスタコの後期交響曲に勝るとも劣らない重厚なシンフォニック・スコアが付けられており、その迫力、狂気の表現には唖然とするほかない。しかしながら、『リア王』のショスタコの音楽が真に凄いのは、物語の中の狂言回しとして登場する道化を表現するため、たった1本のクラリネットに寂寥感溢れる悲しい旋律を吹かせ、それを映画全体のメインテーマにしてしまったことである。その発想がどれほど世界中の映画人に衝撃を与えたか、その影響力の大きさを知りたければ、黒澤明が同じ原作を映画化した『乱』を見てみるだけで充分だ。その映画のために武満徹が作曲した横笛のメインテーマは、明らかにショスタコのクラリネットのテーマを踏まえているからである。
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