2019年はジョン・ウィリアムズ・イヤーだった(その3)

2019年はジョン・ウィリアムズ・イヤーだった(その3)

“今年の1枚”というべき、アンネ=ゾフィー・ムターのためにジョン・ウィリアムズがアレンジを手掛けた『アクロス・ザ・スターズ』の意義について
  • 前島秀国
    2019.12.31
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映画公開後10日以上が経ち、本編の細かい内容はほとんど忘れてしまったが、ようやく『スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け』のサントラ盤を聴いた。最初の『スター・ウォーズ/新たなる希望』が1977年にアメリカ公開されてから実に42年。ひとりの作曲家が、これだけ長期間にわたって同一シリーズの映画音楽を手掛けた例はほぼ皆無だし、ワーグナーのライトモティーフ技法を応用してウィリアムズが『スター・ウォーズ』サーガ全体に統一性を持たせた全9本の音楽は、作曲期間の上でも、また演奏時間の上でも《ニーベルングの指環》を完全に凌駕してしまっている。まずは純粋にご苦労さま、おめでとうとマエストロに申し上げたい。

それだけに、今回の本編前半部で重要な役割を果たしていた「皇帝のテーマ」のアレンジがサントラ盤でほぼすべてカットされていたのは、極めて残念だった。CDの収録時間の制限のせいか、基本的に旧作の音楽の転用やアレンジは割愛したのだろう。これまで、ロシア音楽風の男声合唱で不気味に演奏されることの多かった「皇帝のテーマ」が、ウィリアムズ自身のアレンジによって新たな側面を聴かせ始め、ひいてはヒロインの「レイのテーマ」とどれほど音楽的に接近してくるか、そこに『スカイウォーカーの夜明け』という作品の物語とその音楽の本質が凝縮されていると言っても過言ではない。ぞれはある意味で、オリジナルの作曲(つまり新しいテーマの作曲)に比べて、アレンジという音楽行為が低く見られている、ひとつの証左なのかもしれない。唯一の例外として、本編のクライマックス・シーンにおいて「皇帝のテーマ」や「レイのテーマ」など、主要なテーマがすべて登場する「THE FORCE IS WITH YOU」というトラックが収録されているが、これではいかにも物足りない。

バッハなどの例を挙げるまでもなく、古来より自作や他人の作品や自作をオリジナルとは異なる楽器や編成のために編曲するトランスクリプションやアレンジという行為は、クラシック音楽の中で極めて重要な位置を占めているし、またオリジナルの作曲に勝るとも劣らないほど創造的な可能性を有している。ムソルグスキーの《展覧会の絵》をオリジナルのピアノ版でしか聴かない、という原理主義者はあまり多く存在しないはずだ。大抵の音楽ファンは、ラヴェルが編曲した管弦楽版を楽しみ、エマーソン、レイク&パーマーがアレンジしたプログレ版を楽しみ、あるいは冨田勲が編曲したシンセサイザー版を楽しみ、それぞれ独自の価値があると考えている。

映画音楽の場合、ウィリアムズのような“オールド・スクール”に属する作曲家たちは、原則的にスコアの作曲は時間的な制約もあり、オーケストレーションは別の音楽家に任せることが多かった(コンピューターによる作曲が主流となった現在は、状況が大きく異なる)。そうした業界上のしきたりもあり、ウィリアムズの音楽において“アレンジ”という側面が注目されることは、今までほとんどなかったと言ってよいだろう。ところが今年、つまり『スカイウォーカーの夜明け』の作曲に本格的に着手する前、なんとウィリアムズは自作の映画音楽をアンネ=ゾフィー・ムターのために新たにアレンジし、自らタクトを振って『アクロス・ザ・ユニバース』というアルバムを録音してしまった。日本でも「レコ芸」特選に選ばれるなど、高い評価を得た作品なので、すでにお聴きになったリスナーも多いと思う。個人的には、これが“今年の1枚”だと考えている。

ウィリアムズの名旋律をカンタービレと超絶技巧で弾いたムターも素晴らしいが、40年以上ウィリアムズの音楽を聴き続けてきた人間のひとりとしては、今回のアルバムによって、彼の映画音楽が潜在的に有している無限の魅力が、アレンジによってまだまだ引き出される可能性が残されているのだという発展の余地を、作曲家本人が自ら証明してしまった事実のほうが、はるかに意義深いことだと考えている。『ハリー・ポッター』シリーズの「ヘドウィグのテーマ」が、あんなにも演奏至難なパガニーニ風の変奏曲に生まれ変わるとは、誰も予想していなかっただろう。『ドラキュラ』の「夜の旅路」が、あんなにも暗い情念を秘めたロマンティックな音楽として演奏されるとは、夢にも思わなかっただろう。そして、『フォースの覚醒』から『スカイウォーカーの夜明け』に至る一連の3部作で事実上のメインテーマの役割を果たしていた「レイのテーマ」が、ヒロインに本来にふさわしいフェミニンな魅力を備えた楽曲だとは、正直誰も気付いてこなかったはずだ。それを、ウィリアムズ本人がアレンジすることで、いわば“お手本”を示してしたのである。

聞くところによれば、今回のウィリアムズの新アレンジは、2年間はムターに独占演奏権が与えられているので、少なくとも2021年までは他のヴァイオリニストが弾くことは出来ないという。もちろん、それまでにムターが来日してこれらのアレンジを演奏してもらってもいいのだが、独占演奏権が切れた後、ウィリアムズの映画音楽をコンサートで弾こうとするヴァイオリニストは、例外なく今回の新アレンジの存在を無視出来なくなるはずだ。つまり、他のヴァイオリニストの演奏によってレパートリー化していった時に、実は今回のアレンジの真の価値が発揮されるのではないかと思う。新たな“解釈”によって、また違った側面が聴こえてくるはずだから。その時、僕はヴァイオリン音楽というジャンルに多少の地殻変動が起こるのではないかと考えている。
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