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ダニエル・ホープ「Hope@Home」最終回を見て

ダニエル・ホープ「Hope@Home」最終回を見て

ヴァイオリン奏者ダニエル・ホープが自宅からライブ演奏を配信するオンライン番組「Hope@Home」最終回(日本時間5月4日午前1時より配信)は作曲家マックス・リヒターがリモートでゲスト参加し、ヴァーチャル共演という形で彼の代表作のひとつ《ヴィヴァルディ・リコンポーズド》の室内楽ヴァージョン(隔離ヴァージョン)を世界初演した。
  • 前島秀国
    2020.05.04
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当初2週間限定の予定でスタートした「Hope@Home」は、最終的に全34エピソードが6週間に渡って配信され、トータルで150万人以上のユーザーがオンラインで視聴した(ヨーロッパのいくつかの国では、テレビ放映もされた)。こんな大プロジェクトになるとは、おそらくホープ本人も予想していなかったのではないだろうか。1エピソードにつき約40分のプログラムを日替わりで構成して演奏し、SNSで寄せられた視聴者のメッセージや動画を紹介していくだけでも大変な作業であるが、それを1ヶ月半も繰り返していくのは生半可の思いつきでは続かない。それに、毎回ダニエルの伴奏を務めたピアニストのクリストフ・イズラエルは、各エピソードの演奏曲目に応じ、おそらく毎日アレンジをこなしていたはずである。アーティストとしての彼らの底力、そしてその意志の強さに深い感銘を受けた。「Hope@Home」は、今後ダニエル・ホープのキャリアを語る上で欠くべからざる重要なプロジェクトとして記録されていくだろう。

「Hope@Home」が成功した大きな理由のひとつは、演奏者同士の距離を保つことでソーシャル・ディスタンスというメッセージを強く打ち出しながらも、ホープの呼びかけに応じて多彩なゲストが毎回登場し、通常の演奏会ではなかなか実現できない共演や実験的な試みが披露されたからだろう。日本でも知名度の高い演出家のロバート・ウィルソン、女優のカーチャ・リーマン、俳優のダニエル・ブリュールらがテキストを朗読し、ホープのヴァイオリン演奏と共演したのはその一例だが、他にもサイモン・ラトル&マグダレーナ・コジェナー、ウラディミール・ユロフスキ&エヴェリーナ・ドブラチェヴァ、サラ・ウィリス、アンドレアス・オッテンザマー、マティアス・ゲルネ、ティル・ブレナーなどの豪華な顔ぶれがダニエルの自宅に集結し、演奏を繰り広げた。実質的にはちょっとした音楽祭だが、これを短時間のうちに同時多発的に配信するヴァーチャル音楽祭ではなく、毎晩午後6時(ベルリン時間)に1エピソードずつ配信していくのが良かったと思う。いくらステイホームとはいえ、1日じゅうパソコンやスマホを眺めている人間はあまり多くないだろうから。

もうひとつ成功の理由として挙げたいのは、すでにインターネット上に溢れかえってるリモート共演に頼ることなく、リビングルームでの“室内楽”の生演奏にこだわり、それをテレビ放送に耐えうるクオリティの映像と音質で配信した点だ。今さら言うまでもない事実だが、我々が日々、音楽を楽しみ論じることが出来るのは、実はその音楽の演奏が適切なフォーマット――レコードやCDや放送や映像パッケージなど――で記録されているからである。当然のことながら手間も費用も掛かるが、それこそがプロの意地であり、また腕の見せどころでもあると言えるだろう。その部分を、今回ダニエルたちは妥協しなかった。聞くところによれば、配信に際しては毎回ベルリン・テルデックス・スタジオのエンジニアがライブミックスした音声を使用したという。スマホ撮影によるお手軽な演奏配信とは、訳が違うのだ。

「Hope@Home」最終回の第34エピソードでは、作曲家のマックス・リヒターがオックスフォードシャーの自宅スタジオからリモート参加し、彼の代表作のひとつ《ヴィヴァルディ・リコンポーズド》全曲の室内楽ヴァージョン(隔離ヴァージョンとも呼ばれている)を世界初演した(生演奏においても、リヒター本人が演奏するパートはムーグ・シンセサイザーだから、タイムラグさえ発生しなければリモートかどうかはあまり関係ない)。原曲はヴィヴァルディ《四季》とほぼ同じ編成にハープとシンセサイザーとエレクトロニクスを加えたものだが、今回初演された室内楽バージョンは数年前に出版されたピアノ伴奏譜を基にしながら、そこにハープとシンセのパートを加える形で構成されている。生演奏と異なり、重低音が地響きのように伝わってくるムーグの爆音は聴こえてこないが、その代わり、ホープのソロを背後から包み込むムーグの儚いアンビエント・サウンドが、etherealとしか言いようのない音風景を見事に現出させていた。とりわけ「Winter 2」と「Winter 3」の楽章にムーグの効果がよく現れていたように思う。

この演奏を聴き終えた後、ふと感じた。ヴィヴァルディの原曲を300年後の2012年にリヒターがリコンポーズし、そこからさらに8年が経過した現在、それを室内楽ヴァージョンにアレンジして演奏するというように、ある音楽が時代の状況とテクノロジーを受け入れながら、変容していく。変わるものも当然あるが、ヴィヴァルディがもともと書いた旋律やリズムのように、変わらない要素も存在する。

今回のコロナ禍がいつ収束するかわからないが、これまで当たり前のように続けられてきた演奏慣習がいわゆる3密と隣合わせである以上、一定の収束まではその慣習に何らかの変容が求められることになるのかもしれない。演奏会の開催が相対的に多い特定警戒都道府県で6月に非常事態宣言が解除されたとして、50人以上のイベント活動にあたるコンサートを即座に再開できるかどうかわからない。また、仮に収束したとして、次の冬に第2波が来る可能性も否定できない。来日アーティストが関わる演奏会では、今後は海外の感染状況も他人事とは言えなくなる。要するに、演奏会というフォーマットやプレゼンテーションの仕方を状況に応じて“リコンポーズ”しなくてはならない可能性も、そろそろ視野に入れなくてはいけないということだ。

その意味で、希望という姓を持つダニエル・ホープが《ヴィヴァルディ・リコンポーズド》の隔離ヴァージョンで「Hope@Home」のシリーズを締め括ったのは、非常に示唆的だったと考えている。

なお「Hope@Home」の全34エピソードは、Arte.tvのクラシック・チャンネルで初回配信日から3ヶ月は視聴可能。最終回のみ、現在のところドイツ・グラモフォンのYouTube公式チャンネルでも視聴出来る。
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