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ドゥダメル指揮『ウエスト・サイド・ストーリー』サントラ盤を聴いて

ドゥダメル指揮『ウエスト・サイド・ストーリー』サントラ盤を聴いて

スティーヴン・スピルバーグ監督『ウエスト・サイド・ストーリー』のサントラ盤は、グスタボ・ドゥダメル指揮ニューヨーク・フィルとロサンゼルス・フィルが演奏しているが、サントラ扱いの商品のため、クラシック側の人間が書いたレビューは案外少ないのではないかと思う。昨年12月の配信開始後すぐに聴いたが、このたび国内盤がリリースされたので、いくつかの既存録音と比較した上でレビューをアップする。本編ネタバレなし。
  • 前島秀国
    2022.02.11
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ちょうどいい機会だったので、まずは今回のサントラ盤との比較のために、現在入手可能なさまざまな録音を聴き直してみた。その結果、原曲のミュージカルを過不足なく録音した決定盤は、未だに存在していない、というのが僕の率直な感想である。“原典”として最初に参照されるべきは、1957年に録音されたオリジナル・ブロードウェイ・キャスト盤だが、なんといっても録音が古いし、キャストの歌唱(特にアンサンブル)もやや荒い。もともとこの作品をオペラとして構想していたという作曲者自身の自作自演盤(1985年)は、主要キャストをオペラ歌手が歌っているが、この作品の内容からして、本当にベルカント唱法がふさわしいのか、少なくとも僕自身は今でも疑問を抱いている。2009年の再演に基づくブロードウェイ・キャスト盤は、プエルトリコ側の登場人物の視点を重視し、一部のソング・ナンバーをスペイン語の訳詞で歌っているが、いわゆるポリティカル・コレクトネスの立場からは容認されるにしても、原曲のソンドハイムの歌詞は英語で書かれているので、少しやり過ぎなのではないかという印象を受けた。そのほか、全曲をほぼカットなしで演奏した演奏会形式のライヴ録音がいくつか出ているが、いずれもクラシック色が強すぎて、ミュージカルらしい躍動感が出ていない。といった具合に、どの録音もあちら立てればこちら立たぬといった状態である。

その中でも、最も多くの問題を抱えた録音が、1961年版の映画のサントラ盤だろう。録音は劣悪だし(金属系の楽器をのぞいて14000Hz以上の高音域がほとんど録音されていない)、バーンスタインの作曲意図に反して改竄されたオーケストレーションは弦楽器が多すぎるし、何よりも問題なのはジョージ・チャキリスをのぞいてキャスト本人が歌った録音ではない、つまり吹替歌唱だという点である(マリア役、それにアニータ役の一部を歌ったマーニ・ニクソンの歌唱自体は素晴らしいが)。にも関わらず、この1961年盤が現在も代表的録音として聴かれ続け、この作品のイメージ作りに影響を及ぼし続けているのが現状だ。映画のサントラ盤として歴史的価値を有しているのは事実だが、だからといって、バーンスタインの原曲のミュージカルの魅力と真価を余すところなく収めた録音とは言えないと思う。

今回のドゥダメル盤は、あくまでもスピルバーグ版『ウエスト・サイド・ストーリー』のサントラ盤として録音されているので、映画本編で歌われていないナンバーは当然のことながらカットされている。また、録音セッションの一部を、編曲を担当したデイヴィッド・ニューマンが指揮しているし(といってもわずかだと思うが)、どこからどこまでの演奏がニューヨーク・フィルの担当部分で、どこからどこまでがロサンゼルス・フィルの担当部分(コロナ禍での追加セッション)なのか明確ではないので、そもそもこれをクラシックの録音として扱うのは不可能である。

そうした点を考慮した上で今回のサントラ盤を聴いた時、すぐに直感した。少なくとも、1961年版のサントラ盤を今後聴くことはないだろうし、また、その必要も全くないだろうと。歌手、バーンスタインの作曲意図を尊重したオーケストラの演奏(基本的に1957年ブロードウェイ初演版の編成を用いている)、そして録音のサウンドと、すべてにおいて今回のアルバムは他の録音を寄せ付けない高いレベルに達している。昨年12月の配信開始直後から30回以上は通して鑑賞したが、それでもまだ飽きない。とんでもない録音だと思う。

まず、今回のサントラ盤の最大の魅力は、3万人とも言われる候補の中からオーディションでマリア役の座を勝ちとったレイチェル・ゼグラーの歌唱だろう。《トゥナイト》で、天井知らずの高音がどこまでも伸びていくのを聴いた時、本当に驚いた。今まで聴いてきたマリア役の歌唱――特に熟女がティーンエイジャー役を演じる虚構――は、いったい何だったのだろうと。録音当時、ゼグラーは18歳か19歳だったと思うが、その声は若さだけでなく、一瞬にしてリスナーを虜にするチャーミングな魅力を備え、歌い方は純真そのものながらも、表現に説得力がある。数年前、さる著名歌手(敢えて名前を伏す)がマリア役を歌ったスタジオ録音が鳴り物入りでリリースされた時、単に高い音が出るだけで歌唱表現に魂が全くこもっていなかったのとは大違いだ。おそらくゼグラーは、2009年ブロードウェイ・キャスト盤でマリア役を歌ったジョセフィーナ・スカリオーネの表現(彼女も大変素晴らしい)を参考にしながら録音したのではないかと推測されるが、後述するドゥダメルの速めのテンポ設定のおかげもあり、よりドラマティックで勢いがある。

もうひとり、アニータ役のアリアナ・デボーズも非常に感心した。《アメリカ》では、いかにもラテン的なバイタリティでナンバー全体を華やかにし、上述のゼグラーとのデュエット《ア・ボーイ・ライク・ザット/アイ・ハブ・ア・ラヴ》では、押しの強い迫力と芝居の巧さで聴く者を唸らせる。こういう演奏を聴くと、アメリカのエンタテインメントの底力はとてつもないものだと、改めて感服するほかない。

トニー役のアンセル・エルゴートは、今回のスピルバーグ版で《クール》がトニー役のナンバーに変更されたこともあり、結果的に他のキャストと比較にならないほど多くのナンバーを歌っている。そのため、録音のプレッシャーも相当なものだったと推察されるが、映画『ベイビー・ドライバー』で強い印象を残したエルゴートがここまで歌えたことに、むしろ驚いた。本業のミュージカル歌手のように朗々と歌おうとせず、等身大のヴォーカルで素直に歌っているところが、逆に好感が持てる。高い音域でわずかに声が潰れるのが気にはなるが、別の見方をすれば、そこにリアルなトニーの姿があると聴くことも可能だ。映画本編での彼の魅力と併せて評価すべきだろう。

最初に書いたように、今回のサントラ盤はすべての録音セッションをドゥダメルが指揮しているわけではないので、純粋に彼の作品と呼ぶことは難しいが、少なくとも《プレリュード》や《ダンス・アット・ザ・ジム》などのオーケストラ・ナンバー(つまりオーケストラの聴かせどころ)に関しては、ドゥダメルが振っているはずである。その部分だけ聴いてみても――通常の2チャンネル・ステレオ再生だろうが、配信版のドルビー・アトモスだろうが――これが尋常ならざる演奏だということに気がつくはずだ。先に触れたゼグラーの歌唱と同様に若々しく、ポップスと呼ぶにはあまりにもゴージャスで輝かしい高揚感と、どこを切っても血が吹き出しそうなシャープな切れ味を備えながら、いささかもテンポは淀むことがなく、ドラマティックに畳み掛けてくる。もちろん、この演奏はあくまでも映画のサントラ用だから、シモン・ボリバル・ユース・オーケストラの時のような“フィエスタ”状態で暴走することはない。しかも、すべての録音セッションはスピルバーグが立ち会っているはずなので(スピルバーグが撮影に先んじて音楽録音するプレスコの手法を用いたのは『未知との遭遇』以来だという)、特にテンポ設定に関しては、彼の意向もある程度反映されているのだろう。そうだとしても、バーンスタインの自作自演盤も含め、音楽がここまでクリアかつヴィヴィットに演奏されたことは、いまだかつて無かったのではないか。ドゥダメルはもちろんのこと、オーケストラ全員のミュージシャンシップが高くなければ、ここまで迫力ある演奏をすることは不可能である。これを聴いてしまうと、クラシック市場に溢れかえる《シンフォニック・ダンス》の演奏のほとんどが、単に若作りをした中年オヤジが粋がっているようなものにしか思えなくなってしまう。常設オーケストラ用に編曲された《シンフォニック・ダンス》そのものが“厚化粧”だと言い切ってしまう自信は今の僕にはないけれど、少なくとも今回の《マンボ》のソロ・トランペットの一吹き(本編の中でスピルバーグはわざわざトランペットのアップを映している)を聴いただけで、今まで《シンフォニック・ダンス》の演奏で散々聴かされてきた“ラテンの真似ごと”と、今回のような“本物”とで、音楽表現の生々しさにどれほど大きな差があるか実感できるはずである。

今回のサントラ盤は、ジョン・ウィリアムズの録音を長年手掛けてきたエンジニアのショーン・マーフィー以下、スピルバーグのサントラ録音チームが収録を手掛けている。アメリカの大作映画のサントラ録音は、フル・オーケストラのスタジオ収録に1週間以上かけることがザラだから(日本はどんな大作でも2日が限界)、今回のような映画では収録にも相当な時間をかけたのではないかと思う。ミキシングも相当いじっているはずだが、そのおかげでほぼすべてのパートがクリアに聴こえるだけでなく、スコアの中で何を強調したいのか、演出意図(演奏意図ではない)が明確に伝わってくる。つい先日も、ある日本の映画音楽作曲家と話したのだが、すぐれた映画監督の場合は、自分の映像表現を貫徹させるため、音楽のミキシングにも細かく注文を出してくることが多い。ましてや、スピルバーグのように音楽的素養が高く(コンサート・ピアニストだった母親の影響で、幼年時代はショパンかショスタコーヴィチしか聴いたことがなかったという)、自分でクラリネットも演奏するような監督の場合はなおさらである。したがって、今回のサントラ盤も、あくまでもスピルバーグが意図した録音、彼が聴かせたい録音と考えるべきだ。指揮者が音楽的責任をすべて負うクラシック録音とは違う。そうだとしても、これほどバーンスタインの音楽が生き生きと伝わってくると、今まで聴いてきた多くのクラシック録音はいったい何だったのだろうと、途方に暮れてしまった。

結論をまとめる。今後、バーンスタインの《ウエスト・サイド・ストーリー》を演奏する時は、それがミュージカルの全曲版であろうとクラシックの《シンフォニック・ダンス》であろうと、「今回のサントラ盤を知らずに演奏しました」は許されなくなる。この曲の演奏史は、今回のサントラ盤以前と以後で完全に分断されてしまった。今後は、これが演奏の基準となるだろう。ものすごくハードルが高くなったことは事実だが、バーンスタインの音楽がベートーヴェンやモーツァルトと同じように、いつの時代に聴いても生々しいアクチュアリティを持った音楽として残っていくためには、今回のサントラ盤の方法論を継承していくしか、しばらくは手段がないと思う。
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