ジョン・ウィリアムズ作曲「ヴァイオリン協奏曲第2番」世界初演の配信映像を見て

ジョン・ウィリアムズ作曲「ヴァイオリン協奏曲第2番」世界初演の配信映像を見て

アンネ=ゾフィー・ムターがジョン・ウィリアムズに作曲を委嘱した「ヴァイオリン協奏曲第2番」が7月24日(現地時間)タングルウッド音楽祭にて、ムター独奏、ウィリアムズ指揮ボストン響の演奏で世界初演された。翌日25日より、DG Stageで期間限定有料配信された映像を見てのレビュー。
  • 前島秀国
    2021.07.30
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 『ジョン・ウィリアムズ ライヴ・イン・ウィーン』のブルーレイをご覧になったリスナーならば、特典として収録していたジョン・ウィリアムズとアンネ=ゾフィー・ムターの対談映像の中で、ふたりがヴァイオリン協奏曲とおぼしき新作の誕生を匂わせるような発言をしていたのを、覚えておられるかもしれない。「曲を書くとしたら、君(=ムター)の印象に基づくポートレートにしたい」とか、「ベルクの協奏曲はオケが厚すぎて独奏ヴァイオリンが鳴らない」とか、かなり具体的な内容を語っていたので、対談映像という形で公表した以上、おそらく実現に向けた計画が進行しているのだろうと予測することは出来た。

 ふたりの対談は、2020年1月ウィーン・フィルでの共演の際に収録されたので、それから約1年半を経て、ムターのための新作、すなわち「ヴァイオリン協奏曲第2番」が初演されたことになる。独奏ヴァイオリンとオーケストラのための演奏会用作品をウィリアムズが書いたのは、「ヴァイオリン協奏曲第1番」(1976)、「ツリーソング」(2000、ギル・シャハムのための)、「マーキングス」(2017、ムターのための)に次いで、これが4作品目のはずである。

 ウィリアムズが演奏会用の協奏曲を書く時は、原則として映画音楽作品のようなキャッチーなメロディは封印し、場合によってはかなり調性感の薄い音楽も書くので、この作品が『シンドラーのリスト』のような曲ではなく、玄人好みの曲に仕上がるであろうことは、予め想像がついた。で、実際にその通りだったのだが、それだけでなく、もしかしたらウィリアムズがこの純音楽のジャンルに新しい方向性を見出し始めたのではないかというのが、これまで彼の作品を聴いてきた一(いち)ファンとしての印象である。

 演奏時間約35分の「ヴァイオリン協奏曲第2番」は、第1楽章<Prologue>、第2楽章<Rounds>、第3楽章<Dactyls>、第4楽章<Epilogue>。独奏ヴァイオリンに加え、ハープがかなり重要な役割を果たすのは、ムターのために書いた「マーキングス」の方法論を踏襲している。

 そのハープが、第1楽章冒頭で『未知との遭遇』の5音モティーフのはじめの3音を導入するのを聴いて、思わずのけぞってしまった。はじめの3音だけとはいえ、指揮台で振っているのがウィリアムズ本人なのだから、「この3音は映画と関係ありません」と否定するのは無理である。でも、見方を変えれば、たった3音だけで代表作のひとつと自分の存在をたちどころに伝えることができる作曲家なんて、そうそう存在するものではない。この3音から主題となるべき素材がオケによって導き出され、独奏ヴァイオリンが第1主題部と思しき部分を演奏し始めるのだが、美しいとは言え、1度聴いただけでとても覚えられるような旋律ではない(これに比べればベルクのほうが、ずっと易しい)。この部分がひとしきり演奏されると、オケだけのセクションに移るのだが、その響きは紛れもなく『スター・ウォーズ』、それも『帝国の逆襲』や『フォースの覚醒』以降の暗いロマンを秘めた漆黒の響きである。このセクションは明確な主題を持った音楽ではないので、サントラをある程度聴き込んでいないと、その特徴に気づかないかもしれない。その後、より優美な第2主題部を独奏ヴァイオリンが導入するが、第1主題部をシリアスな芸術音楽の象徴、第2主題部をヴァイオリンの美の象徴と考えれば、このプロローグはやっぱりムターのポートレートか、あるいはヨーロッパの伝統を継承する何かを表現しているのだろう、という想像はつく。というのは、他の楽章についても言えるのだが、このヴァイオリン協奏曲は、ウィリアムズのこれまでの協奏曲と異なり、“アメリカ”を感じさせる要素がほとんど存在しないからである。

 第2楽章は、その名の通りロンド形式で書かれているので、音楽の形としては非常にわかりやすい。ただ、ここでも、最初のオケの序奏が『宇宙戦争』か何かのような外宇宙的神秘を感じさせるサウンド(オーケストレーションが本当に素晴らしい)で始まり、ややミニマルな音形も加えながら、楽章の中ほどで『未知との遭遇』のマザーシップ到来のような輝かしいクライマックスに達する。その間も、ムターのヴァイオリンはずっと歌い続けているのだが、カデンツァ風の短いソロの後、推進力を増したオケが演奏するのは、おなじみのウィリアムズ節が全開するチェイス・シーンか何かの音楽である。

 そして第3楽章だが、個人的にはこの楽章が最もユニークで、かつ非常にショッキングな音楽だと感じた。楽章名の<Dactyls>とは、英詩の強弱弱格のことを指すが、要するに「ズンチャッチャッ」、つまりワルツのリズムである。このワルツ楽章が、ウィリアムズのウィーン・フィル指揮の体験およびウィーン滞在の影響で書かれたことは、ほぼ間違いないと思う。しかしながら、そのワルツはラヴェルの「ラ・ヴァルス」のような洗練された諧謔というよりは、むしろかなりグロテスクな皮肉と評したほうが適切である。とにかく、オケがエネルギッシュかつダイナミックに「ズンチャッチャッ」を演奏し続けるので、しまいにはホラー映画の“悪魔のワルツ”のような様相を呈してくる(ある意味で、ベルクの「管弦楽のための3つの小品」第2楽章に非常に近い)。これがウィリアムズの滞在したウィーンの印象なのだとしたら、いったい彼はウィーンで何を見てきたのだろう?

 最後の第4楽章<Epilogue>は一種のエレジーというか、悲しい結末を迎えるラストシーンの音楽である。ベルクのヴァイオリン協奏曲へのオマージュであることは疑いないが、なぜこんなに悲しいのだろう? ジェダイか誰かが亡くなったのだろうか? それとも、パンデミックの犠牲者に捧げた悲歌なのだろうか? 独奏ヴァイオリンのソロが、ベルクと同じく、最後は天使の昇天のように終わるので、なおのことそういった印象を受ける。不思議な音楽である。

 映像配信で見ただけなので、おそらく現地で配られたであろうプログラム・ノートは読んでないし、したがってこの作品がどういう意図で書かれ、どういう内容を表現しようとしたのか、本当のところはまだわからない。しかしながら、この映像を見ただけでも、これまでウィリアムズがこれまでの純音楽作品の作曲で避け続けてきた映画音楽的な語法にある程度歩み寄りながら、映画音楽作曲でも委嘱作品の作曲でもない、“ウィリアムズ自身の音楽”を書く意欲を見せ始めたことは確かである。

 これだけの作曲家でありながら、ウィリアムズが交響曲(1966)を1曲しか書いておらず、しかも出版もせずに事実上、演奏禁止にしてしまっているのが非常に意外だが、それは“自分のため”ではなく、“誰かのため”の作曲――スピルバーグであれ、ルーカスであれ、ムターであれ――こそが自分の使命だという態度を、彼が半世紀以上にわたって頑なに守り続けてきたからだろう。その態度に少し変化が見えてきたのではないかと、今回の「ヴァイオリン協奏曲第2番」世界初演の映像配信を見て感じた。

 アンコールは、やはりムターの独奏とウィリアムズの指揮で『スター・ウォーズ クローンの攻撃』~「アクロス・ザ・スターズ」の改訂版。
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