アレクサンドル・デスプラの新作オペラ『サイレンス』(その1)

アレクサンドル・デスプラの新作オペラ『サイレンス』(その1)

川端康成の短編『無言』をアカデミー賞作曲家アレクサンドル・デスプラとそのパートナー、ソルレイ(ドミニク・ルモニエ)が共同でオペラ化した『サイレンス』が1月25日、神奈川県立音楽堂で上演された。
  • 前島秀国
    2020.01.26
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あまり映画音楽に詳しくないクラシック・ファンでも、『真珠の耳飾りの少女』『ハリー・ポッターと死の秘宝Part 1、2』『アルゴ』『グランド・ブダペスト・ホテル』『GODZILLA ゴジラ』『シェイプ・オブ・ウォーター』『犬ヶ島』といった映画はご覧になったことがあるかもしれない。それらの映画の音楽を手掛けたギリシャ系フランス人アレクサンドル・デスプラは、ジョン・ウィリアムズを別格にすれば、おそらくハンス・ジマーに次いで人気を誇る映画音楽作曲家である。

実は10年ほど前に彼に電話インタビューした時、「映画音楽以外の純音楽は書かないのか?」と質問したら、「自分の本分は映画音楽にあると思っているし、書くつもりもない。映画音楽の作曲家で、すぐれたクラシック作品を残した作曲家が果たして何人いるだろうか?」というのが彼の答えだった。そこで僕は、「コルンゴルトは『映画音楽とは歌のないオペラ。今までに書かれた最高の映画音楽は《トスカ》だ』という言葉を残しているけど、それについてはどう思う?」と続けて訊いてみた。すると彼は「うーん、そうは思わない。そもそも、オペラというのは歌があるものだが、映画音楽は基本的にインストゥルメンタルだ」と答えを返してきた。要するに、当時の彼はコンサート用の音楽を書いたり、オペラを書いたりすることに興味がなかったのである。

それだけに、数年前にデスプラがオペラの作曲に挑戦するというニュースを見た時は、正直驚いた。あれほど映画音楽に忠誠を尽くしていたデスプラが、オペラを書くとは! もっとも、その時点で彼はアカデミー作曲賞を受賞していたし、ある意味でこの業界の頂点を究めてしまった人だから、自分の書きたい音楽を好きに書き始めたとしても、それはそれで別段不思議なことでもないと思った。しかも先に触れたインタビューで、デスプラは13歳から合気道をやっているとか、京都からお茶をネットで取り寄せているとか、何度もプライベートで来日しているとか、声が掛かったらすぐにでも飛行機に乗って日本映画の音楽をやりたいとか、尋常ならざる日本愛を語っていたので(『GODZILLA ゴジラ』と『犬ヶ島』のスコアにはその日本愛が大いに炸裂している)、彼が初のオペラの題材に「カワバタ」を選んだとしても、これまた至極当然のことだと納得した。

だが、彼が初のオペラの題材に川端の『無言』を選んだのは、もっとパーソナルな事情が介在していた。

デスプラのサントラ・ファンならご存知かと思うが、長年、彼のサントラ録音のコンサートミストレスは、パートナーのドミニク・ルモニエが務めていた。ところが、数年前から彼女の名前がCDのクレジットに記載されなくなってしまった。不運にもドミニクは事故に遭い、腕を負傷したことで、ヴァイオリニストとしての人生を絶たれてしまったのである。事故によって、音を出したくて出せない演奏家。その“分身”というか“化身”を、デスプラとドミニクは『無言』の主人公――発作によって書くことも話すことも出来なくなり、無言のまま生活を送っている――の中に見出した。そこでデスプラとドミニクは、自分たちに起きた悲劇を川端の物語に重ね合わせながら『無言』をオペラ化しようと決意。ソルレイというステージネームを新たに名乗り始めたドミニクは、デスプラと共同で台本を執筆し、演出と音楽監督(歌手の選定など)を彼女が担当することで、ふたりの共作オペラとして『サイレンス』を作り上げた、という次第である。

まず驚いたのは、デスプラとソルレイは『無言』にインスパイアされたどころか、川端の原作をほぼそのままオペラの台本に使っていたことである。登場人物の歌の歌詞や、ナレーター役によって語られる地の文など、川端に由来しないものはほとんど皆無と言ってもいい。原作自体が文庫本で30ページ足らずの短い作品なので、こういう芸当が可能になったわけだが、ここまで小説の原作を忠実にオペラ化した作品は、音楽史上、他に例がないのではないかと思う。別の言い方をすれば、デスプラとソルレイは川端の文学性を手つかずのままオペラという土壌に直接移植し、その上で何らかの“芸術”を開花させることが可能か、という実験を試みている。一歩間違えば音楽付きの朗読劇か、あるいはラジオドラマになる危険も出てくるが、そうならなかったのは、デスプラの音楽と、ソルレイが演出を手掛けた映像によるところが大きいと思う(続く)。


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