アン・セット・シス『ジョン・ウィリアムズ ピアノ・コレクション』

アン・セット・シス『ジョン・ウィリアムズ ピアノ・コレクション』

山中惇史と高橋優介のピアノ・デュオ、アン・セット・シスが、ウィリアムズの映画音楽のピアノ・トランスクリプション集『ジョン・ウィリアムズ ピアノ・コレクション』を録音した(編曲は山中)。CD封入の解説書の楽曲解説を書いた手前、アルバムのインプレッションの公表をこれまで控えていたが、本日無事リリースされたので、以下に僕の考えを綴る。
  • 前島秀国
    2021.10.13
  • お気に入り
2ヶ月以上前に音源を初めて聴いた時、まず純粋に驚いた。このアルバムが、よくあるレコード会社主導の企画のような、単純な「ジョン・ウィリアムズ名曲集」ではなかったからである(もし、レコード会社がその種のアルバムを望んでいたら、この選曲では絶対にOKを出さないだろう)。確かに『ハリー・ポッター』や『スター・ウォーズ』のような有名曲は演奏されているが、アルバムをじっくり聴いてみると、日本で全く知られていないテレビ番組のテーマ曲とか、映画本編で未使用に終わった楽曲(サントラには収録)とか、要するに「知られざるジョン・ウィリアムズ」と呼ぶべき楽曲が少なからず収録されており、それがアルバム全体にユニークな個性をもたらしているのである。アン・セット・シスが、映画そのものやテーマ曲の知名度に拘っていないことは明らかだ。彼らは、いわゆる「映画音楽集」とは全く異なる構成原理でこのアルバムを録音している。

それがいちばんわかりやすく表れているのが、アルバムの前半に演奏されている『ハリー・ポッター』シリーズからの5曲だろう。

まず、誰でも知っている「ヘドウィグのテーマ」は、原曲ではチェレスタがテーマ旋律を導入するので、これをピアノ(の高音域)に置き換えて演奏するのは、音楽的にも非常に理に適っている。山中の編曲譜を見ていないので正確にはわからないが、第1ピアノがテーマ旋律を歌うかたわら、第2ピアノがアルペッジョの音形――フクロウのヘドウィグの飛翔を表現している――を繰り返す。原曲の管弦楽版では、このアルペッジョはどちらかというと背景的な伴奏音形のように聴こえてくるのだが、今回の山中の編曲版では、わざわざもう1台のピアノにアルペッジョを弾かせることで、アルペッジョの存在感が原曲以上にはっきりと伝わってくる。このセクションだけで、彼らは2台ピアノでジョン・ウィリアムズを演奏する意味を見事に表現していると感じた。

「ヘドウィグのテーマ」の次のセクション、すなわち8分音符のリズムを細かく刻むテーマのセクションは、原曲の管弦楽版では木管――確かコーラングレ、クラリネット、ファゴットだったと思う――がテーマを導入するのだが、アン・セット・シスの演奏は、わざわざピアノで「木管らしいニュアンス」を表現しようなどという小賢しい技は使っていない。あくまでもピアノにふさわしい、明確なタッチでこの第2主題部を鮮やかに導入している。原曲の管弦楽版の印象とは異なるかもしれないが、ピアノ音楽としての論理はしっかり貫かれている。だから、ピアノでやる意味があるのだ。

ここまでの約100小節でこの調子だから、細かく見ていくと面白すぎてキリがない。小煩いサントラ・ファンは「なぜ有名曲の『ニンバス2000』が入っていないのか?」とか、些細なツッコミを入れてくるかもしれないが、5曲全体を通して聴けばわかるように、そもそも山中たちは「ハリー・ポッター名曲集」を全く意図していない。あくまでも、2台ピアノのための性格小品集あるいは組曲として聴き応えのあるものにするため、本盤収録の5曲を選曲しているのである。少なくとも、僕はそう感じた。でなければ、映画本編でボツになった「ダイナゴン横丁」をわざわざ中間楽章に含めたりしないはずだ。このユーモラスでこっけいな楽曲は、5曲全体の中でスケルツォ楽章的な役割を果たしているので、これがあるのとないのとでは、組曲としての面白さがずいぶん変わってくる。

しかも、5曲のうちの3曲は、最初に触れた「ヘドウィグのテーマ」が直接的に登場するか、あるいはそこから派生したテーマが登場するので、結果として組曲全体に有機的な統一感がもたらされている。映画の物語とは違うかもしれないが、これはこれでひとつの物語、つまり音楽的論理に基づくピアノ組曲としての物語を持っている。曲の知名度だけで選曲していったら、今回の組曲のような音楽的充足感は全く得られなかったはずである。

このまま全曲に触れていくとライナーノーツ以上の長さになってしまうので、多くの評者があまり触れないであろう、アルバム収録の山中のオリジナル曲について触れておく。

アルバムで演奏されているウィリアムズ作品の組曲(あるいは、かたまり)の前後には、山中が書き下した「Opening」、3つの「Intermission」、それに「Song for John」の計5曲が併録されている。このうち、演奏時間各1分弱の「Opening」と「Intermission」は、2つの和音で構成されたモティーフ(あるいはテーマ)が発展していく形で構成されている。音楽的には一種のヴァリエーションと言ってもいいかもしれないが、ウィリアムズ作品の合間にこうしたモティーフをサンドイッチしていく構成は、実のところ、非常に映画音楽的な手法ではないかと感じた。ウィリアムズ自身の映画音楽でも、例えば(本盤では演奏されていないが)『未知との遭遇』や『ジョーズ』に聴かれるような、ごく限られた音数のモティーフで映画全体に統一感をもたらした実例がある。もちろん、作曲家としての山中はウィリアムズの語法をそのまま継承しているわけではないので、モティーフそのものは非常に現代的に書かれているが、ある程度、映画音楽の手法に慣れ親しんだリスナーならば、山中が意図した構成を素直に受け入れることが出来るのではないかと思う。だから、最後の「Song for John」を聴いた時、僕は「ああ、これは巨匠にオマージュを捧げた“エンドロールの音楽”の曲なのだ」と直感的に察知した。

このアルバムを聴いていると――ちょうどサントラを聴きながらまだ見ていない映画のシーンを思い浮かべるように――さまざまな空想に駆られる。「例えばこの『ハリー・ポッター』の組曲を、『くるみ割り人形』2台ピアノ版と同じプログラムで演奏してみたらどうなるだろうか?」「ウィリアムズが原曲でもピアノを効果的に用いた楽曲――例えば『E.T.』や『帝国の逆襲』や『サブリナ』など――をこのアン・セット・シスが演奏したらどうなるだろうか?」などなど。今後、彼らがさらなるウィリアムズ作品集を作り上げていくのかわからないが、ともかくも今週10月15日に浜離宮朝日ホールで同じプログラムを披露するというので、僕はとても楽しみにしている。
1 件
TOP