自宅から届ける希望ーーダニエル・ホープ「Hope@Home」

自宅から届ける希望ーーダニエル・ホープ「Hope@Home」

今年からボン・ベートーヴェン・ハウス理事長を務めるヴァイオリン奏者ダニエル・ホープが、2週間にわたってライブストリーミングで生演奏を届ける新プロジェクト「Hope@Home」を26日午前2時(日本時間)より開始した。
  • 前島秀国
    2020.03.26
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 昨晩、小池都知事が不要不急の外出を自粛要請する記者会見をテレビで見ていた時、友人でもあるダニエル・ホープのツイッターから連絡が来た。ベルリン時間の18時(すなわち日本時間26日午前2時)から、ベルリンにある彼の自宅のリビングルームからライブストリーミングで演奏を生中継するという。題して「Hope@Home」。しかも1回だけでなく、2週間にわたって毎晩同じ時間に演奏を配信するという。とてもダニエルらしい、素晴らしいプロジェクトだと思ったので、すぐにこちらでも情報を日本語に訳し、彼のツイッターでリツイートしてもらった。

 メニューインの愛弟子であり、ボザール・トリオ最後のメンバーのひとりであり、マックス・リヒター《ヴィヴァルディ・リコンポーズド》の初演者であり、現在はチューリッヒ室内管弦楽団とサンフランシスコのニュー・センチュリー室内管弦楽団の音楽監督を務めているダニエルだが、テレジエンシュタット(テレジン)強制収容所に収容されていた作曲家の作品を紹介するプロジェクトに携わったり、あるいは音楽と社会の関わりを扱った短編ドキュメンタリー映画を自分で監督したりと、いわゆるアクティビスト的な側面も有している。だから、今回のコロナウイルス危機に際してもダニエルはただ手をこまねいて事態を見守っているだけでなく、20日はラン・ランやアヴィ・アヴィタルらとベルリン・コンツェルハウスのホワイエで開催した無観客特別演奏会をYouTubeほかでライブ配信した。今回のプロジェクト「Hope@Home」はそこから一歩踏み込み、3人以上の集会が禁止されている現在のドイツの状況下で音楽家として何が出来るか、インターネットなどの力を使って模索していこうというものである。開催に際し、ダニエルがインスタグラムで発表した実施要項によれば、現在のドイツ政府の要請を遵守し、一度に演奏する人数は2人まで、演奏者同士の距離は少なくとも2メートル以上空ける、中継は遠隔操作の無人カメラを通じて実施し、カメラクルーはリビングルーム(つまり演奏会場)とは異なるフロアに待機するという。そこまで厳密に規則を守らなければ音楽が出来ないほど、現在のドイツは深刻な危機に陥っているのである。

 さっそく26日午前2時から配信された第1回の生中継を見てみたが、ユーチューバーたちがスマホのカメラで配信するようなライブではなく、フランスのARTE Concertとダニエルが所属するドイツ・グラモフォンが協力し、ダニエルのリビングルームにカメラとマイクを設置していたのは驚いた。ダニエル自身が英語とドイツ語で進行役を兼ね、ゲストすなわち共演者はピアニストのクリストフ・イズラエル。第1回はバッハにちなんだプログラムということで、《ヴァイオリンとチェンバロのためのソナタ 第4番 ハ短調 BWV 1017》~第1楽章「シチリアーナ」、《ヴァイオリン協奏曲第1番 イ短調 BWV 1041》~第2楽章、《G線上のアリア》、レイナルド・アーン作曲《クロリスに》(《G線上のアリア》にインスパイアされて作曲した歌曲)、そして最後はシューベルト《音楽に寄せて》という構成である。冒頭に「シチリアーナ」を演奏したのは、おそらくダニエルが現在のイタリアの窮状を強く心配していたからではないかと思う。

 演奏終了時間を気にしないですむ2人だけのリビングルームという、文字通りのアットホームな空間で繰り広げられたインティメートな演奏はもちろん素晴らしかったが、それ以上に僕が感銘を受けたのは、ダニエルが曲間のMCを通じて単に「音楽でこの危機を乗り越えましょう」的な安易なメッセージを発するのではなく、いまの状況、すなわち隔離を余儀なくされている状態と芸術がどんな関わりを持っているのか、彼なりのユニークな考えを披露していた点である。例えば、バッハの協奏曲を演奏した後、ダニエルは1717年にバッハが約4週間投獄されていたエピソードを紹介し、「その期間を使ってバッハは《平均律クラヴィーア曲集》を書いたと言われているので、隔離というものが時には芸術の創造を手助けすることになるかもしれない例のひとつだ」と説明していた。わかりやすく言えば、バッハだって今の自宅隔離と同じような状況下で創作していたんだ、というわけである。

 普段からSNSを駆使し、iPadに楽譜を表示させて演奏するダニエルらしく、彼のツイッターアカウントに寄せられたツイートやメッセージを曲間に紹介していく試みも面白いと思った。ほとんどラジオの音楽番組に近いノリだが、こういう機会でなければ、こんな試みも実現しなかったかもしれない。明らかにダニエルは、今回の状況――逆境と言ってもいい――を逆手にとり、ライブストリーミングでなければ出来ない新しいプレゼンテーションの仕方を試みている。そのポジティヴな姿勢、前向きな考え方は、まさにダニエル自身の名前でもある「ホープ(希望)」そのものだと思った。

 配信時間は約30分。毎晩見ていくにはちょうど良い長さである。今後2週間、毎晩ゲストを迎えて続けていく「Hope@Home」は、単なるコンサートの代替物ではなく、これからの音楽の発信の仕方にも一石を投じていくのではないかと思う。毎晩午前2時、楽しみがひとつ増えた(配信終了後もYouTubeで視聴可能)。

「Hope@Home」配信サイト
https://www.youtube.com/deutschegrammophon

ダニエル・ホープ 公式ツイッター
https://twitter.com/HopeViolin
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