アン・セット・シスは新たなる希望 A New Hopeである

アン・セット・シスは新たなる希望 A New Hopeである

山中惇史と高橋優介によるピアノ・デュオ、アン・セット・シスがアルバム『ジョン・ウィリアムズ ピアノ・コレクション』発売を記念し、10月15日に浜離宮朝日ホールでデュオ・リサイタルを開催した。プログラムはCDとほぼ同じだが、CD未収録の編曲も今回新たに披露された。その演奏を聴き、終演後、彼らと少し話してみて。
  • 前島秀国
    2021.10.17
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客電を完全に落とした暗闇の中から、アン・セット・シスの演奏する「Opening」(山中作曲)が神秘的に響いてくる。なるほど、当夜のコンサートという“映画”の幕開けにふさわしいオープニングだ。CDを聴いた時も感じたが、彼らは単にウィリアムズの映画音楽のトランスクリプションを演奏するのではなく、ある世界観の中で統一された物語(あるいは物語たち)を観客に届けようとしている。いまの若い世代らしい、聡明なコンサートの作り方である。

『ハリー・ポッター』の組曲に関しては、先に投稿したCDレビューと重なる部分も多いので、『スター・ウォーズ』の組曲を中心に話を進めたい。

当夜の演奏では、CDに収録された「メイン・タイトル」「ルークとレイア」「アナキンのテーマ」に加え、CD未収録の「フラッグ・パレード」(『エピソード1 ファントム・メナス』)を合わせた計4曲の形で披露された。

Youtubeなどに無数にアップされている「スター・ウォーズのテーマを弾いてみました」の類のアマチュア演奏を除けば、「メイン・タイトル」を本気で弾いたアーティストとして、10年ほど前に録音をリリースしたインゴルフ・ヴンダーの例が思い浮かぶ。だが、所詮2手なので、限界はあった。とりあえず主要なメロディは追えているものの、ショパンのようにウィリアムズは弾けないな、というのが僕のヴンダー盤の感想だったが、当夜のアン・セット・シスは当然のことながら2台ピアノなので、ほぼ3管編成の原曲の醍醐味を過不足なく置き換えていた。ウィリアムズ本人が指摘しているように、この曲は一種の軍隊行進曲として書かれているのだが、彼らの2台ピアノの演奏を聴いていると、シューベルトの「3つの軍隊行進曲」が自然と思い浮かんできて、自分でもびっくりした。より正確に言えば、彼らの演奏はリスト編曲のシューベルトくらいの難易度だけど。

しかし、それよりも驚いたのは、高橋と山中がそれぞれソロを披露した部分である。ドビュッシーか何かのような色彩豊かで繊細なタッチで弾かれた「ルークとレイア」(高橋)の冒頭は、ほとんど印象派のピアノ音楽の世界である。「アナキンのテーマ」(山中)に至っては、もう完全に後期ブラームスの小品集の世界、つまり曖昧な調性感の中でひたすら内的な世界を綴っていく、滋味と若干の苦々しさを含んだ“晩年の音楽”に仕上がっている。『スター・ウォーズ』の音楽を聴いてそんなことを感じるとは、当夜の会場に足を運ぶまで、夢にも思わなかった。

そして、組曲の最後に「フラッグ・パレード」が2台ピアノで演奏されたが、本編をご覧になった読者ならご存知のように、この楽曲が流れるポッドレースのシーンは『ベン・ハー』の戦車戦のシーンを踏まえているので、ウィリアムズの音楽も『ベン・ハー』のミクロス・ローザの音楽(チルクス・パレード)を強く意識した楽曲(というより完全なオマージュ)として書かれている。パーカッシヴな奏法を多用する彼らの「フラッグ・パレード」の演奏を聴いていると、ローザというより、むしろローザが多大な影響を受けたバルトーク(ふたりともハンガリー人である)が透けて聴こえてきたので、自分でも面食らってしまった。ウィリアムズの曲もローザの曲もさんざん愛聴しているのに、なぜ今まで、気づかなかったのだろう! それを教えてくれた彼らの演奏は、少なくとも僕にとっては啓示であった。

このように、アン・セット・シスのふたりは、敬愛するウィリアムズを愛情込めて編曲・演奏しながらも、その音楽がどこから来たのか、つまりウィリアムズに至る音楽の伝統を強く意識しながら、このプログラムを練り上げ、録音し、実演に漕ぎ着けている。クラシックのピアニストとして、ウィリアムズに対するこれ以上の愛情表現は他にない。ウィリアムズの音楽を無理に“ショパン”にするのではなく、シューベルトでありブラームスでありバルトークであり、あるいはプロコフィエフであるウィリアムズの源流を音楽的にしっかり掬い取った上で、クラシックの文脈でも違和感がない作品として演奏しているのである。終演後、ふたりと直接話してみてわかったが、かつてウィリアムズのシンフォニックな映画音楽が「ポップス」「軽音楽」といった不当なレッテルを貼られていたダークサイドの暗黒時代を、彼らは全く知らずに育ってきている。うらやましい。なんと素晴らしいことだろう! 今後、ウィリアムズの映画音楽をクラシック・レパートリー化していく上で、彼らのような若い世代の演奏家こそ、新たなる希望(A New Hope)ではないかと感じた。
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