『ジョン・ウィリアムズ ライヴ・イン・ウィーン』について②

『ジョン・ウィリアムズ ライヴ・イン・ウィーン』について②

ジョン・ウィリアムズがウィーン・フィルを指揮した最新アルバムをめぐるあれこれ、その2。演奏の意義など、本質的な事柄はすでに同盤所収ブックレットのライナーノーツに書いたので、主に音響的な側面のレビューを。
  • 前島秀国
    2020.08.22
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(①から続く)
前置きがずいぶん長くなってしまったが、今回リリースされた限定デラックス盤特典のブルーレイは、演奏会本編と上記の対談を収めた映像と、ブルーレイ・オーディオで構成されている。つまり、実質的に2種類のディスクで成り立っているようなものだ。それぞれ、音声トラックが3種類収録されているので、購入者は全部で6通りの鑑賞方法を選ぶことが出来る。箇条書きにしたほうがいいかもしれない。

演奏会本編のライヴ映像(拍手やトークなどをカットなしで収録)および対談
①DTS-HD Master Audio 24bit/96kHzの2.0ステレオ
②DTS-HD Master Audio 24bit/48kHzの5.1サラウンド
③Dolby Atmos(9.1.4)

ブルーレイ・オーディオ(拍手やトークなどをカットし、曲順変更および曲数を減らした、CDおよび配信音源用のミックス)
①DTS-HD Master Audio 24bit/96kHzの2.0ステレオ
②DTS-HD Master Audio 24bit/48kHzの5.1サラウンド
③Dolby Atmos(9.1.4)

DTS-HD Master Audioは、PCMやFLACと同じ可逆(ロスレス)音声かつハイレゾ音声である。最近のブルーレイ・プレイヤーはHDMI出力端子しかない場合が多いが、アナログ音声出力端子があれば、アナログで出力した2.0ステレオまたは5.1サラウンドのハイレゾ音声を任意のアンプで鳴らすことが可能である(比較的な安価なハイレゾ再生方法でもある)。問題はDolby Atmosだが、『ジョン・ウィリアムズ ライヴ・イン・ウィーン』ではフロント、センター、サラウンド用に9チャンネル、サブウーファー用に1チャンネル、天井または天井近くに設置されたハイトスピーカー用に4チャンネルを当て、再生時はAVアンプ側の処理でオブジェクト・オーディオとして再生するようになっている(Dolby Atmos非対応のプレイヤーではDolby True HD 7.1サラウンドとして再生されるはず)。Dolby Atomosは、映画のブルーレイやNetflixではかなり普及しているが、クラシックの商用利用はまだ始まったばかりだ(同様の技術であるAuro-3Dについては、ここでは触れない)。

今回、このアルバムを仕事で扱うことになった経緯もあり、自分でも思い切ってDolby Atmosの環境を導入することにした。スピーカーは、部屋のスペースの問題もあるので、フロントL・R、センター、サラウンドL・R、ハイトスピーカーL・R(天井埋め込みは無理なので、出来るだけ天井近くに設置)、それにサブウーファーの5.1.2環境。対応AVアンプは、ステイホーム期間中に唯一購入可能だったDENON AVR-X1600Hにしたが、安価な割には充分すぎるほどの機能で、とても気に入っている。

で、サンプル盤が届いた後、実際に再生してみた。

クラシック音楽の再生にサラウンドやサブウーファーは邪道だ、と考えるピュア・オーディオ派は、通常の2チャンネル・ステレオのハイレゾ音声である①しか選択肢がないが、もちろんそれだけでも充分楽しめる。僕はMQA-CDのDAC(デジタル・アナログ・コンバーター)を持っていないが、おそらくMQA-CDも①の音声に非常に近くなっているのではないかと推測する。

ただし、ムジークフェライン(ウィーン楽友協会)の臨場感や空間表現、ロック・コンサートかと錯覚するような聴衆の熱狂的な反応などは、当然のことながら②と③が圧倒的である。今回の収録曲で最もサラウンド再生の恩恵に浴しているのは、ウィリアムズの作品の中でも特に前衛的な語法で書かれた部分を含む『未知との遭遇』だろう。実質的に20世紀後半の現代音楽として書かれたオーケストラの豊かなパレット、最弱音から最強音までに至る幅広いダイナミック・レンジ、ソロとトゥッティの鮮やかな対比、それに何よりも、目の前のスピーカーの縛りから解き離れたウィーン・フィルが文字通りUFOのように飛び回る音の乱舞は、圧倒的にサラウンド再生のほうが優れている。

では、ハイト・スピーカーを使わない②と、ハイト・スピーカーを使う③では、どのくらい差があるのか? これは、③を先に再生しながらプレイヤー側で②に切り替えると(普通のAVアンプなら入力信号を自動判別して必要なスピーカーをON/OFFする)、その違いが明確に出てくる。わかりやすく言うと、山形食パンの山の部分がバッサリ切り落とされ、ふつうの角型食パンに変わったような感じだ。もちろん、③の山形食パンも、②の角型食パンも、パンそのものの味は変わらないが。この違いは、演奏の視覚情報が伝わる映像本編よりも、むしろ映像のないブルーレイ・オーディオを再生した時のほうが、はっきり出てくるかもしれない。画があると、視覚的に空間情報を補うことが出来るからである。

今回のアルバムのような作品の場合、ハイトスピーカーの使用は、飛行機の爆音が上方を通過するような明確な効果はないけれど、演奏会場の空間表現に関しては、5.1サラウンドよりも確実に豊かである。逆にこれで慣れてしまった場合、ハイトスピーカーが無いと寂しく感じるだろう。

だが、それ以上に今回のディスクの再生で重要だと感じたのは、サブウーファーの有無、つまり低域情報の再生である。これは、ジョン・ウィリアムズの作曲法そのものと密接に関わってくる問題でもある。

ウィリアムズ、あるいは彼のライバルと称されたジェリー・ゴールドスミスなどについても言えるが、ハリウッドの映画音楽では、ずしりと響く重低音を鳴らす時、普通のクラシックのオーケストレーションではやらない楽器法を使うことがある。つまり、コントラバス、大太鼓、ピアノの低音など、オーケストラの中で最も低い音を出す楽器をかき集め、ユニゾンで一斉に「ドン!」と鳴らすのである。映画音楽である以上、そういう効果音的な音が求められるのは仕方ないことだが(対談の中で、ウィリアムズが自分の音楽を「クラシックとは違う音楽」と謙遜気味に呼んでいる理由のひとつがそこにある)、だからといって、ウィリアムズは演奏会用の譜面からそういう楽器法を排除するようなことはしていない。

今回の演奏曲でも、実はそういう楽器法で書かれた音楽が何曲か含まれている。比較的わかりやすいのは『イーストウィックの魔女たち』、それから『ジョーズ』だろう。特に『ジョーズ』では後半のフーガの部分に入ると、コントラバスとピアノがユニゾンでフーガ主題を導入するという、かなりユニークな楽器法を聴くことが出来る。もちろん、2チャンネルのステレオ再生でもそうした楽器法は聴き取れるが、サブウーファーを使用した場合、音の重量感の表現が全く違う。もともと音楽がそういう風に書かれている以上、このウィリアムズの演奏に関してはサブウーファーを使って鳴らすべきだ、というのが僕の意見である。でないと、重厚な低音の意味が伝わってこない。

考えてみれば、Dolbyという会社の音声規格も、DTSという会社の音声規格も、ウィリアムズがスコアを担当した映画と密接な関わりを持っている。ドルビーステレオ(アナログ4チャンネル)が35mm映画フィルムの光学サウンドトラックのデファクト・スタンダードとなったきっかけが、1977年の『スター・ウォーズ』と『未知との遭遇』での導入(日本では『未知との遭遇』が先に公開された)。ドルビーデジタル(5.1サラウンド)の競合規格として、DTSが初めて登場したのが、1992年の『ジュラシック・パーク』である。今回のアルバムで、その3作品のテーマが演奏されているのは偶然ではない。ウィリアムズという人は過去40年にわたり、その時点での最新の音響システムを用いてフル・オーケストラのテーマ曲を映画館で鳴らす機会に恵まれてきた、例外的な作曲家なのである。今回の『ジョン・ウィリアムズ ライヴ・イン・ウィーン』を見て、聴くと、ウィリアムズの音楽がこれまで映画館でどのように鳴り響き、また受容されてきたか、実際にリアルタイムで目撃してきた歴史が走馬灯のように甦ってきて、とても感慨深かった。
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