『ジョン・ウィリアムズ ライヴ・イン・ウィーン』について①

『ジョン・ウィリアムズ ライヴ・イン・ウィーン』について①

ジョン・ウィリアムズがウィーン・フィルを指揮した歴史的演奏会の記録が、CD+Blu-rayで発売された。国内盤リリースに深く関わったのでレビューを控えていたが、単独名義のアーティストによるアルバムTOP10入りの最年長記録更新とか、ニュース的な側面も出てきたし、どなたもお書きにならないので、触れることにする。
  • 前島秀国
    2020.08.22
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すっかりこの「音楽日記」をサボってしまっていたが、その理由のひとつは、『ジョン・ウィリアムズ ライヴ・イン・ウィーン』のライナー執筆と字幕監修に膨大な時間を割く必要があったのと、万が一、自分がコロナウイルスに感染したらリリースそのものに影響が出てくる可能性があったので、ほとんど家に引きこもっていたからである(そのため、都内で再開し始めた演奏会も、全部出席を見合わせていた)。

国内盤リリースに伴う作業は、実質的に5月の終わりから始めたが、ただの解説書きとはいえ、いろいろと判断を迫られる場面が多々あった。まず、このアルバムはクラシック・ファンと映画(音楽)ファンの両方が購入するだろうから、どちらにも満足していただけるような解説を書かなければならない。クラシック・ファンのほとんどは、おそらく『イーストウィックの魔女たち』や『シンデレラ・リバティー/かぎりなき愛』のような作品は見ていないと思う。逆に映画ファンには、クラシック界におけるウィーン・フィルの位置づけがどのようなものか、最初から説明してあげなくてはならない。

実は、かなり早い段階で原盤のオリジナル・ライナーノーツも読ませてもらったのだが、ウィーン楽友協会資料室長のオットー・ビーパ博士が執筆したライナーは、現地の演奏会評の抜粋でまとめられていた。僕はビーパ博士本人にも取材したことがあるし、とても尊敬している研究者なのだけど、ジョン・ウィリアムズに関しては、やはり専門外だという印象を受けた。となると、いちから全部自分で書き下ろすしかないのだが、元のサントラやウィリアムズが過去に指揮したボストン・ポップスの演奏を聞き直すのはもちろんのこと、場合によっては演奏曲の該当シーンを映画本編に当たって見直す作業をしなくてはいけない。これが、非常に時間がかかった。とても楽しい作業だったけれども。

それと共に大変だったのが、デラックス盤特典ブルーレイに収録されたジョン・ウィリアムズとアンネ=ゾフィー・ムターの対談映像の字幕翻訳である。ご覧いただくとおわかりになると思うが、ふたりともざっくばらんに本音を語り合っているだけでなく、音楽の本質に迫る重要な問題をいくつも取り上げている。当然、一言一句正確に訳したいところだが、日本語字幕には「1秒4文字」というやっかいな字数制限が厳然と存在する。書き言葉とは違うのである。なので、どうしても妥協しなければならない部分が出てくるが、少なくとも映画用語、音楽用語、作曲家名に関しては正確さを期したい。よく、劇場用映画のDVDやブルーレイにメイキング映像と称して作曲家のインタビューが収録されていることがあるが、あの手の映像の字幕のクオリティは概して非常に低い。なぜかというと、音楽の専門家のチェックが入らず、字数制限を守るために翻訳者が勝手に意訳してしまうからである。今回、そういうことは絶対に避けたかったので、コンマ数秒単位まで計算しながら、出来るだけ字数制限を越えないように訳していった(例外的に越えざるを得なかった字幕もいくつかある)。どうしても訳しきれなかったのは、「今度(ウィリアムズが)ウィーンに来たら、ウィンナーシュニッツェルも忘れずに食べに行きましょう」というムターのジョークくらいだが、本質的に音楽と関係ない話なので、これはバッサリ切り落とした。あと、彼女が触れているE-Musik(Ernste Musik、芸術音楽)とU-Musik(Unterhaltungsmusik、娯楽音楽)の話は、見る人が見れば、彼女が暗にアドルノを批判しているということがわかるのだけど、それをわかりやすく説明とするとなると、アドルノの『音楽社会学序説』まで引用しなくてはいけなくなるので、あとはリスナーの理解に委ねることにした。15年以上前にDVD『エンニオ・モリコーネ アリーナ・コンチェルト』の字幕を訳した時、本人が言っている「Musica assoluta」をそのまま「絶対音楽」と訳したら、モリコーネの熱心なファンでもある映画関係者から「そんな言葉が存在するのか!」と驚かれた記憶がある。でも、こういうものを変にわかりやすく意訳するのは、音楽DVDまたはブルーレイの字幕の場合、厳に慎むべきであるというのが、僕の基本的な考え方だ。(②に続く)
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