ペーター・シュライヤーとシド・ミードの訃報に接して

ペーター・シュライヤーとシド・ミードの訃報に接して

1980年代に絶大な影響力を及ぼした名テノール歌手ペーター・シュライヤーと、インダストリアル・デザイナーのシド・ミードが年末に相次いで亡くなった。そのふたりと1980年代に捧げる、ささやかなる挽歌。
  • 前島秀国
    2019.12.31
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実はこの「音楽日記」のコーナーで、どなたも名テノール歌手ペーター・シュライヤーの死についてお書きにならないのが気になっていた。誰か、書くべきだろうか? とはいえ、僕自身それほど彼の熱心なファンではなかったし、深い知識を備えているわけでもない。彼の訃報を知って真っ先に頭に思い浮かんだのは、1987年のベルリン国立歌劇場来日公演《ニュルンベルクのマイスタージンガー》をNHKホールに聴きに行った時、その日はシュライヤーの降り番だったので彼のダーヴィット役が聴けず、物凄く悔しい思いをした記憶である(結局、彼はNHK教育テレビの全曲収録の公演日で歌った)。1980年代、ワーグナーに相当狂っていた僕は、ルネ・コロもペーター・ホフマンもジークフリート・イエルザレムも全部で生で聴くことが出来たが、シュライヤーのワーグナーだけは生で聴き損ねてしまった。その程度の思い入れしかないから、僕がシュライヤーについて書くなど、とてもおこがましいことだと思って控えていた。

ところが、年末も押し迫った12月30日にアメリカのインダストリアルデザイナー、シド・ミードが亡くなったという報道を先ほど目にした。『スター・トレック』『ブレードランナー』『2010年』『エイリアン2』などのSF映画の都市や宇宙船のデザインを一手に手掛け、絶大な影響を及ぼした人物である。その偉業もさることながら、ミードがシュライヤーより2つ歳上だったという事実を知って、また驚いた(前者は1933年生まれ、後者は1935年生まれ)。つまりふたりは、人生で最も脂の乗り切った40代後半の時期を、1980年代に送っていたことになる。そのことに気付いた時、自分が最も影響を受けた80年代文化ーー音楽と言わず、映画と言わずーーの大きさについて、改めて思いを巡らさざるを得なくなった。

モーツァルトやバッハ、それにシューベルトのテノールを聴きたければ、当たり前のようにシュライヤーが存在し、すぐ手の届くところにいた80年代。毎年公開されるSF映画の新作で話題になるカッコいいガジェットは、どれも当たり前のようにミードがデザインしていた80年代。その意味で、自分はとても幸せな時代に育ったと思う。そして、その文化をリアルタイムで体験した以上、多少なりともその知識を生かしていくことが、自分の役割の少なからぬ部分を占め始めている事実も実感している。平成がとっくに過ぎ去り、2020年代に突入しようとしているのに、まだ昭和のバブル期の80年代にこだわっているのですか?と後ろ指を刺されそうだが、実際いま携わっている仕事のかなり部分が、80年代と密接に関わっている。まだ、しばらくはそういう状況が続くだろう。

独り言が長くなりすぎた。今年もありがとうございました。また来年。
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