ヴィキングル・オラフソン ピアノ・リサイタル@紀尾井ホール

ヴィキングル・オラフソン ピアノ・リサイタル@紀尾井ホール

ヴィキングルのリサイタルは、アメコミの映画化だと思って『ジョーカー』を見に行ったら、予想に反した内容で驚いた、という体験と非常に近い。彼にとって、楽譜はあくまでも絵の具。それを使って彼が描いた“絵”が凄いのだ。誰も見たことのない“絵”を見せてくれるから。
  • 前島秀国
    2019.12.05
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12月4日。同一プロでの公演が名古屋(6日)大阪(7日)札幌(13日)でこれから開催されるので、ここでは詳細を語らず、敢えてこういう言い方をする。
ヴィキングルのリサイタルは、アメコミの映画化だと思って『ジョーカー』を見に行ったら、予想に反した内容で驚いた、という体験と非常に近い。
プログラムはラモー、ドビュッシー、ムソルグスキーだが、彼はそこから全く別の風景を聴かせてくれる。単純に上手い、下手という問題ではない。解釈かアレンジか、という問題でもない。ヴィキングルにとって、楽譜はあくまでも絵の具。それを使って彼が描いた“絵”が凄いのだ。誰も見たことのない“絵”を見せてくれるから。
音楽でも映画でもそうだけど、何かを聴いたり見たりするために足を運ぶ行為は、現代では単に“確認”を求めに行くだけの作業になってしまった。テレビやメディアがこれだけ褒めているから凄いんだ、興行収入のランキングがこれだけ高いから凄いんだ。そんなどうでもいい知識だけが先行した状態で評判を“確認”しに行き、そこで得られた安堵感を“感動”と呼ぶ。
違う。
それを身をもって示しているのが、ヴィキングルだと思う。彼が昨年、東京で初めてグラスとバッハを弾いた時も同じことを感じたが、今回は誰もが知っている名曲がプログラムに含まれているだけに、余計ショッキングに感じるかもしれない。
でも、演奏を聴きに行って、ショックを受けないまま帰ってきたら、いったい何を求めてリサイタルに通うのだろう?
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