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第23回読響アンサンブル:ライヒ&メシアン

第23回読響アンサンブル:ライヒ&メシアン

ライヒ《ダブル・セクステット》は、総じて“バンド”としてのアンサンブルの面白さは感じられる演奏。メシアン《世の終わりのための四重奏曲》は、遠藤真理のチェロと金子平のクラリネットの長い独奏が「時の終わり」としか言いようのない永遠の美しさを表現。
  • 前島秀国
    2019.11.27
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 2019年11月18日よみうり大手町ホール。完売。開演前のプレトークは聞かず。前半はライヒ《クラッピング・ミュージック》と《ダブル・セクステット》、後半はメシアン《世の終わりのための四重奏曲》。中川賢一がピアノに、有馬純寿が音響にそれぞれ入っていたので(2人ともライヒ本人とのコラボ歴がある)、実質的には読響メンバー+アンサンブル・ノマドみたいな感じ。ライヒの作品が演奏されるコンサートで、これだけ年齢層が高い聴衆は初めて見た。《ダブル・セクステット》は作曲者によるPA使用が義務付けられているので、費用的にもバカにならないはず。会場費等々に縛られない主催コンサートでなければ、いまの日本では実現不可能。読響さんには、どんどんやっていただきたい。
最初の《クラッピング・ミュージック》は、まず客電を全部落とし、暗闇の中からいきなり演奏を始めるというアイディアが素晴らしいと思った。拍手が楽器なので、予め聴衆に拍手をさせない(つまり楽器を鳴らさせない)という趣向だ。かつてライヒ・アンサンブルのメンバーを務めたこともある作曲家コーネリアス・カーデューが、この曲の初演(かそれに近い再演)を聴いた時、「聴衆に与えられた拍手という権利を奪い取ってしまうとは、なんと帝国主義的な作品だ!」とライヒを激しく非難したエピソードを思い起こしてしまった。
《ダブル・セクステット》は、僕は生で初めて聴いた。舞台中央に巨大な鏡を置いたように、ふたつの六重奏が対向配置になっている(この発想は、実はバルトークの《弦・打楽器・チェレスタのための音楽》に由来している)。この曲を含む、2000年から2011年頃までの10年間のライヒの作品には、なんらかの形でテロと歴史と戦争が影を落としている。その影が、彼自身のユダヤ的なルーツに由来するヘブライ風の音階と結びつくと、非常に禍々しいアクチュアリティが生まれてくる。当夜の演奏からも、その片鱗がなんとか伝わってきたのは大きな収穫だった。ライヒのミニマル語法を“ジャズ”として処理していた奏者がいなくもなかったが、総じて“バンド”としてのアンサンブルの面白さは感じられた。
後半の《世の終わりのための四重奏曲》は、遠藤真理のチェロと金子平のクラリネットの長い独奏が、まさに「時の終わり」としか言いようのない永遠の美しさを見事に表現していた。

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