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「ウィーン・フィル ニューイヤーコンサート2020」を見て

「ウィーン・フィル ニューイヤーコンサート2020」を見て

アンドリス・ネルソンス指揮ウィーン・フィルの演奏もさることながら、今回のテレビ中継の映像の行間から見えてきた、重要なこと。
  • 前島秀国
    2020.01.02
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ここ数年、生中継で見てこなかったNHKの「ウィーン・フィル ニューイヤーコンサート」を、今年はホテルのテレビで見た。指揮はアンドリス・ネルソンス。第1部はかなり知名度の低い曲に偏っていたのであまり楽しめなかったが、スッペ《軽騎兵》序曲でド派手に始めた第2部は見応えがあった。その白眉は、なんといっても今年のベートーヴェン・イヤーに因んで演奏された《12のコントルダンス》の抜粋(6曲)だろう。交響曲第3番《英雄》の終楽章やバレエ音楽《プロメテウスの創造物》に転用されたことで知られる第7曲の演奏が、これだけ多くの人間(世界約100ヶ国で中継/放送される)に聴かれたのは、おそらく史上初めてのことではないだろうか。その意味でも、とても意義のある選曲だったと思う。ハイリゲンシュタットのベートーヴェンの家で踊るウィーン国立歌劇場バレエ団が、ほとんどジーン・ケリー振付の『巴里のアメリカ人』のようだったのはやや苦笑したが(おそらく男女のペアが踊るコントルダンスというところから発想したのだろう)。

もうひとつ、演奏の合間にウィーン楽友協会資料館のアーカイブがかなり細かく紹介されていたのが非常に印象に残った。実は、これが今回の放送のひとつのカギだったとも言える。

インタビューにも登場した資料館館長のオットー・ビーパ博士(つい11月にも来日していた)は、実は10年以上前に館長室で2時間ほど取材したことがある。「音(オットー)美波(ビーパ)」という日本語の名刺を渡され、こちらが驚いていると、「後ろの壁にモーツァルトの肖像画があるでしょう? 本物ですよ」と言われてさらに絶句した記憶がある。

この資料館、映像の中でも少し紹介されていたが、モーツァルトやベートーヴェンをはじめとする大作曲家たちの自筆譜の膨大なコレクションを抱えていることでも知られている。一般の音楽学生では本物を閲覧することが出来ないが、特別な研究者や演奏家ならば、閲覧が許される。当然、ウィーン・フィルを指揮する指揮者はOKだ。

ビーパ博士が、こんな面白いエピソードを聞かせてくれた。カラヤンは、自分が知る限り一度しか自筆譜を見に来たことがない。しかも、モーツァルトの交響曲第40番の自筆譜を目の前にして、ページをめくることもなく、ただ訝しげに眺めているだけだったという。頻繁に自筆譜を見に来たのは、ショルティ、そしてジュリーニだったそうだ。

ジュリーニは、ウィーン・フィルでシューベルトの《ザ・グレイト》を指揮することになった時、リハーサル当日に資料室地下の書庫にこもり、何時間もシューベルトの自筆譜を読み込んでいたという。リハーサルの時間になり、楽友協会大ホールの指揮台に上がったジュリーニは、リハを始める前にこう告げたという。「諸君、私は今までシューベルトと対話してきた。さあ、練習を始めよう」。カッコいいじゃないか! それが、実はウィーン・フィルと楽友協会の伝統の強みなのである。ベルリンが、ロンドンが、ニューヨークが、もちろん東京が、どうひっくり返ってもこんな芸当は出来ない。

こういう体制が整っているのは、それだけお金が掛かっているという証拠でもある。楽友協会資料館は、重要な作曲家の自筆譜やそれに類する貴重な資料がオークションに出品された時、それを競り落とすのも仕事のひとつだと、取材の時にビーパ博士が語っていた。「その費用はどこから出すんですか?」とストレートに質問したら、「スポンサーを見つける」と博士は答えていた。おそらく、今回の放送で資料館の内部が詳しく紹介されたのは、単にベートーヴェン・イヤーで盛り上がっているというお祭り気分を演出するためではなく、資料収集とその維持にはお金が掛かる、つまりスポンサーが必要なのだということを暗に伝えたかったからではないかと思う。業界人の視点で見ると、どうしてもそういうふうに感じてしまうが、別に下世話な話題でもなんでもない。音楽に限らず、どんな芸術においても、伝統の継承と遺産の管理にはお金が掛かる。そこをケチると、資料散逸とか、それこそ人類レベルの損失にも繋がりかねない。

楽友協会大ホールの黄金の装飾は確かに輝かしいけれど、だからあのホールで演奏するウィーン・フィルのワルツが美しく聴こえてくるのではない。美しい響きは、それを影で支える膨大な遺産の蓄積があって初めて可能になる。表面だけ聴いていてはいけない。それを2020年新年の抱負にしようと思う。
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