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フル・オーケストラで聴く小曽根版「ジュノム」

フル・オーケストラで聴く小曽根版「ジュノム」

2019年12月11日、東京・渋谷のオーチャードホールで開催された「小曽根真 Christmas Jazz Night」では、小曽根がずっと取り組んで来たモーツァルトのピアノ協奏曲第9番「ジュノム」のジャズ・アレンジ・バージョンが披露された。スウィングするモーツァルトを楽しんだ。
  • 片桐卓也
    2020.01.02
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 毎年恒例となっているオーチャードホールでの「クリスマス・コンサート」。ジャズ・ピアニスト小曽根真の様々なアイディアが散りばめられたコンサートで、多くの音楽ファンを集めている。今年は、これまでのそのコンサートの中でも、特別に興味深いものとなった。
 小曽根は2003年10月に尾高忠明指揮札幌交響楽団とモーツァルトのピアノ協奏曲の傑作である第9番「ジュノム」を共演した。それ以来、クラシックの作品をよく取り上げて来た。その中には、例えばストラヴィンスキーの「春の祭典」の2台ピアノ版の演奏などもあった。「ジュノム」に関して言えば、2014年にはスコティッシュ・ナショナル・ジャズオーケストラと共演し、ジャズのビッグ・バンドのためにアレンジしたバージョンを披露していた。
 そして今回はクラシックのオーケストラのためにアレンジされた編曲版(編曲/小曽根真、オーケストレーション/兼松衆)を演奏した。フル編成のオーケストラにジャズのピアノ・トリオを加えた形で、オーケストラは兵庫芸術文化センター管弦楽団(通称PACオケ、コンサートマスターには豊嶋泰嗣が参加)、指揮が熊倉優、そして小曽根のピアノに、ベースの中村健吾、ドラムスに高橋信之介というトリオ。
 モーツァルトのピアノ協奏曲の中でもよく演奏される「ジュノム」。その第1楽章のあの弾けるようなテーマがまずオーケストラによって演奏されるが、次の瞬間、それをジャズのトリオが引き取って演奏を始める。オーケストラとトリオが絡み合いながら音楽は進む。オーケストラも、モーツァルトのオリジナルでは管楽器はオーボエ2本にホルン2本という編成だが、今回のバージョンではそこにトロンボーン、トランペット、それに打楽器も加わる。オーケストラには当然のことながら、ジャズのビッグ・バンド的なサウンドの要素が付け加えられていた。第2楽章は、オーケストラのチェロのソロで開始され、そこにピアノが加わって、一種のダイアローグが展開された後に主題に入る。またベースのソロがフィーチャーされる部分もある。第3楽章はより華やかで、活気あるスタイル。自然と身体が動いてしまうような軽快さがあった。
 小曽根自身による各楽章のサブタイトルは、第1楽章が「アレグロ〜スウィング」、第2楽章が「アンダンティーノ〜タンゴ」、第3楽章が「ロンド=プレスト〜ビバップ」というものだ。それぞれの楽章にジャズだけでなく様々な音楽のエッセンスが詰め込まれていた。モーツァルトの作品のオリジナリティを活かしながらも、それを自在により新しい時代の音楽と組み合わせて、ひとつの作品として聴かせてしまう小曽根のアイディアが楽しかった。また、PACオケという若い世代によって構成されるオーケストラ、1992年生まれの指揮者・熊倉が共演者であったことも、このバージョンの演奏を成功に導いたと思う。コンサートの後半には小曽根のオリジナル曲である「Pandora」「Cave Walk」「No Siesta」の3曲もオーケストラとの共演バージョンで演奏された。

 このコンサートの帰り道、思い出していたのは、1980年代のこと。キース・ジャレットとチック・コリアをソリストとしてモーツァルトのピアノ協奏曲が演奏され、話題となった。1985年に開催された第1回の「TOKYO MUSIC JOY」で、キースはモーツァルトの「ピアノ協奏曲第23番」を、チックは「ピアノ協奏曲第20番」を、そしてふたりで「2台のピアノのための協奏曲」を演奏した(指揮は田中良和、新日本フィルが共演。会場は、今はなき五反田ゆうぽうとホールだったと記憶する)。キースもチックも折り目正しい演奏で、拍子抜けしたことを覚えている。退屈だった訳ではないが、ちゃんとクラシックも弾けまっせという証明をされただけで、特に新鮮さを感じることは無かった。キースはその後モーツァルトの協奏曲をECMに残しているぐらいで、真剣に取り組んでいたことは分かったけれど。1990年代に入って、フリードリヒ・グルダにインタビューする機会があった時、グルダは「チックにモーツァルトを教えたのは俺だ」と語っていた。替わりに、グルダはチックからジャズのあれこれについて教わったのだと言う。オスカー・ピーターソンも家に帰ればクラシック曲ばかりを弾いていたらしいから、ジャズ・ピアニストがクラシックを弾くことは別に珍しいことではないけれど、80年代にはまだジャンルの「壁」があったのだなと、おじさんは思ったのだった。


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