ヴェルビエ音楽祭特集へ
エベーヌ四重奏団の “CLASSIC” ――モーツァルトとショスタコーヴィチ

エベーヌ四重奏団の “CLASSIC” ――モーツァルトとショスタコーヴィチ

クァルテットの饗宴2022 エベーヌ弦楽四重奏団 (2022年6月17日 紀尾井ホール)を聴いて(2)
  • 青澤隆明
    2022.08.02
  • お気に入り
 エベーヌ四重奏団の話のつづき。彼らの進境は追ってきたつもりだし、日本の聴衆としてはヴィオラのマリー・シレムが正式にメンバーに迎えられるまさに前夜のコンサートを聴いていたのだから、いまさらそれほど驚くことはないはずなのだが、それでもやはりびっくりした。

 ショスタコーヴィチの第8番が鮮烈だったことを先に書いたが、もちろんそれだけではなかった。2022年6月17日、前半のクラシック・パート。モーツァルトのト長調K.387は1782年のいわゆる「ハイドン・セット」幕開けの曲で、「春」のニックネームで親しまれてきた。エベーヌ四重奏団の演奏も、ここではぐっと古典的な明朗さをもち、きりっとして外向的にも簡明だ。「合わせる」のでも「合ってしまう」のでもなく、自由な息を全体で交わしながら、一体となって歩んでいく感興が熱い。

 いっぽうで1960年のショスタコーヴィチは危機に直面し、体制や戦争に脅かされている。そのなかで書かれた弦楽四重奏曲第8番ハ短調 op.110だが、エベーヌらの演奏は表現が激する段でも優美な音づかいをとり、全体に精細な響きの醸成を保っていった。多様な表現を導きながら、全体としてしなやかに柔軟で、クラシカルな均整が保たれている。要するにバランスよく、どこまでも明晰なのである。内声の充実が巧みに利いている。

 そうして、エベーヌ四重奏団はフランス現代のクァルテットとしての身上を明瞭に示すだけではなく、いわば古典的な均整を大事にして、作品の芯にある内情を歌い上げていく。ショスタコーヴィチはだから、余計に内面的になる。怒りはすでに諦観であり、悲嘆は憂愁でもある。しかし、人間を傷つけまいとする繊細さが、多様な表現に揺れながら、アンサンブルの芯に堅く、だからこそ柔軟に抱かれている。

 そのようにみると、明朗さと不穏さという情感、率直さと屈折、外交的な明るさと内向的な昏さといった心理のコントラストだけでもなく、モーツァルトのト長調作の古典的な明快さ、そこから放たれる直截を、ショスタコーヴィチのハ短調作の技量的な器用さと組み合わせたのは効果的だった。

 二世紀もの開きと大胆なコントラストを宿した両曲に臨み、彼らは理知的な統制を通じ、ヨーロッパ的な造形意識を一貫させた。フレキシブルということは、合奏や表現の能力だけでなく、視座が安定していなければできないことだ。エベーヌ四重奏団の4声の均衡はいま、十分な成熟と熱気のもとで、その美観を活かし、闊達に語りかけてくる。
1 件
TOP