
再会まで (前) -くるりの『thaw』への前奏曲
ステイホームのあいだ。くるりの『thaw』を聴いていた。前篇 。◎CD くるり『thaw』(Victor)
そういえば、タイムカプセルというものがあった。20世紀の話だ、いかにも。
ぼくも小学生のときに、クラスのみんなと、なにかしらを校庭に埋めた。思い思いの宝物だったか、手紙だったか、なんらかの思いをさして現実感もなくそこに入れたはずだ。
21世紀になったら、掘り起こしてみましょう、未来の自分への手紙です、とかなんとか、そういうかけ声や号令があったのだろう。つくばで科学万博があったりした、そういう時代のできごとである。
でも、その後のことはなにも知らない。先生だっていまどうしているかわからないし、ほんとうを言えば誰だったか
名前も顔も思い出せないし、忘れられてそのまま土に埋まっている可能性が高いような気がする。
もし、掘り出していたとして、それでどうなるものでもない。ぼくはなにも思い出せない、けれどタイムカプセルをやったことだけは覚えている。なんでだろう。そのとき、ぼくはたぶん、どんな未来を思い描くのにも若かった。
いっしょに穴を掘って、いっしょに埋めて、それをみんなでみている、ということが不思議な高揚感、というよりSFぽい非現実の感覚といっしょに、そのときぼくたちの校庭にはあった。あったのだと思う。だから、タイムカプセルという行為のことだけ、なにを入れたかというなかみではなく、ずっと覚えているのだ。
人が集まるということが、まだごくありふれた、ふつうの魔法だった頃の話で、もしかしたらいまやこの先は、それがますます魔法のように貴重になってくるのかもしれない。それでもひとは知恵を出し合って工夫して、まったくおなじようにはいかなくとも、なにかしらのやりかたや作法をきっと見出していくだろう。
さて、ぼくは無為にあることがたいそう得意なので、そのまま放っておけば、月日なんて泡も立てずに流れ去ってしまう。無為の為、などと言ってみたところで、なぐさめにはならない。
いまもただ、読んで、聴いて、考えて、書いて……ということを続けているだけだ。それも、さらにゆっくりなペースで。頼まれもしないことを、好きに書いていたりする時間も、けっこう増えた。ひとと直接に話すことも減ったから、たぶんなにかしら緩くなっているのだろうとは思う。そういう時間があるのはよいとして、そこからどっちに進むのかはまだよくわからない。
だが、家の時間が多くなったことで、賢い人はできることをちゃんとする。もちろん、ふだんからきちんとしているひとは、そのことをきちんとするだけだろう。自分に向き合うとか、昨今の様式や方法を見つめ直すとか、そういうことが大なり小なり関わってくる。ときには、じっとしていることも大事だ。黙っていることからしか、育たない言葉だってあるのだ。
状況が状況だけに、この頃はまったく会う機会もなかったし、そうでなくてもまめに連絡をとったりする性質ではないのだけれど、ぼくが信頼する方々はこの間きっと、なんらかの意味で作品をつくっている。あるいは、基礎練習をしたり、身体づくりをしたり、なにがしかの環境を整えたりしている。なにも確かめてはいないが、そうであるに違いないと思う。それが少し時間はおいてだろうけれど、しかるべきときに、またぼくたちに届けられることを楽しみに待っている。
時代状況や生活環境や、ほかならぬ音楽、とくにコンサートをめぐるフィールドのことについて、楽観的なことはなかなか思いづらいけれど、悲観的な事柄が多くのしかかってきても、それでも肯定的でいたいのは、ぼくはそうしたすべての根っこにある心のようなものを、きっかりと信じたいからだ。
この時節のことを、ぼくたちはどのように記憶するのだろう。とくに昭和の追憶という感じでもなく、タイムカプセルのことを思い出していたのだった。それはたぶん、くるりの『thaw』というアルバムをこのところよく聴いていたからだ。
もっともタイムカプセルなんて、まるで20世紀少年の物語で、いまではそういうものは面倒くさいロマンにすぎないのかもしれない。でも、クラシックはもちろん、音楽や芸術の大半は、そちらの方角から今日を訪れる。
音楽というのも、音と響きのかたちというだけではなく、さまざまな心象や記憶とともに、ひとの心や脳裏に残る。個々の曲はタイムマシンのようなものでもある。
ぼくたちの記憶という有機土には、そうしたさまざまな曲や音楽の断片が、きっとタイムカプセルのように埋められている。掘り出すのをそのまま長く忘れてしまっていたとしても、どこかにあることに違いはない。あるいは土に分解されてしまったかもしれないが、それはそれでいいことだろう。
あとはいつ、どのようにして、再会を果たすかである。しかもたいていは、思いがけないかたちで。
(つづく)
ぼくも小学生のときに、クラスのみんなと、なにかしらを校庭に埋めた。思い思いの宝物だったか、手紙だったか、なんらかの思いをさして現実感もなくそこに入れたはずだ。
21世紀になったら、掘り起こしてみましょう、未来の自分への手紙です、とかなんとか、そういうかけ声や号令があったのだろう。つくばで科学万博があったりした、そういう時代のできごとである。
でも、その後のことはなにも知らない。先生だっていまどうしているかわからないし、ほんとうを言えば誰だったか
名前も顔も思い出せないし、忘れられてそのまま土に埋まっている可能性が高いような気がする。
もし、掘り出していたとして、それでどうなるものでもない。ぼくはなにも思い出せない、けれどタイムカプセルをやったことだけは覚えている。なんでだろう。そのとき、ぼくはたぶん、どんな未来を思い描くのにも若かった。
いっしょに穴を掘って、いっしょに埋めて、それをみんなでみている、ということが不思議な高揚感、というよりSFぽい非現実の感覚といっしょに、そのときぼくたちの校庭にはあった。あったのだと思う。だから、タイムカプセルという行為のことだけ、なにを入れたかというなかみではなく、ずっと覚えているのだ。
人が集まるということが、まだごくありふれた、ふつうの魔法だった頃の話で、もしかしたらいまやこの先は、それがますます魔法のように貴重になってくるのかもしれない。それでもひとは知恵を出し合って工夫して、まったくおなじようにはいかなくとも、なにかしらのやりかたや作法をきっと見出していくだろう。
さて、ぼくは無為にあることがたいそう得意なので、そのまま放っておけば、月日なんて泡も立てずに流れ去ってしまう。無為の為、などと言ってみたところで、なぐさめにはならない。
いまもただ、読んで、聴いて、考えて、書いて……ということを続けているだけだ。それも、さらにゆっくりなペースで。頼まれもしないことを、好きに書いていたりする時間も、けっこう増えた。ひとと直接に話すことも減ったから、たぶんなにかしら緩くなっているのだろうとは思う。そういう時間があるのはよいとして、そこからどっちに進むのかはまだよくわからない。
だが、家の時間が多くなったことで、賢い人はできることをちゃんとする。もちろん、ふだんからきちんとしているひとは、そのことをきちんとするだけだろう。自分に向き合うとか、昨今の様式や方法を見つめ直すとか、そういうことが大なり小なり関わってくる。ときには、じっとしていることも大事だ。黙っていることからしか、育たない言葉だってあるのだ。
状況が状況だけに、この頃はまったく会う機会もなかったし、そうでなくてもまめに連絡をとったりする性質ではないのだけれど、ぼくが信頼する方々はこの間きっと、なんらかの意味で作品をつくっている。あるいは、基礎練習をしたり、身体づくりをしたり、なにがしかの環境を整えたりしている。なにも確かめてはいないが、そうであるに違いないと思う。それが少し時間はおいてだろうけれど、しかるべきときに、またぼくたちに届けられることを楽しみに待っている。
時代状況や生活環境や、ほかならぬ音楽、とくにコンサートをめぐるフィールドのことについて、楽観的なことはなかなか思いづらいけれど、悲観的な事柄が多くのしかかってきても、それでも肯定的でいたいのは、ぼくはそうしたすべての根っこにある心のようなものを、きっかりと信じたいからだ。
この時節のことを、ぼくたちはどのように記憶するのだろう。とくに昭和の追憶という感じでもなく、タイムカプセルのことを思い出していたのだった。それはたぶん、くるりの『thaw』というアルバムをこのところよく聴いていたからだ。
もっともタイムカプセルなんて、まるで20世紀少年の物語で、いまではそういうものは面倒くさいロマンにすぎないのかもしれない。でも、クラシックはもちろん、音楽や芸術の大半は、そちらの方角から今日を訪れる。
音楽というのも、音と響きのかたちというだけではなく、さまざまな心象や記憶とともに、ひとの心や脳裏に残る。個々の曲はタイムマシンのようなものでもある。
ぼくたちの記憶という有機土には、そうしたさまざまな曲や音楽の断片が、きっとタイムカプセルのように埋められている。掘り出すのをそのまま長く忘れてしまっていたとしても、どこかにあることに違いはない。あるいは土に分解されてしまったかもしれないが、それはそれでいいことだろう。
あとはいつ、どのようにして、再会を果たすかである。しかもたいていは、思いがけないかたちで。
(つづく)
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