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くるりとベートーヴェン ―「第九」くちずさむ季節に

くるりとベートーヴェン ―「第九」くちずさむ季節に

「第九」をひとり思わず口ずさんでしまったあなたに。 ◎CD「THE PIER / Quruli」(VICL-64167)
  • 青澤隆明
    2019.12.17
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 くるりは、ベートーヴェン。という説を、ぼくが勝手に言いつのっていたのは、2000年代の半ば頃のこと。「だから?」って感じで、ほとんど誰にも気にかけてもらえなかった。
 たぶん「ロックンロール」のPVをぼんやりみてるときに、ふとそのように思ったのだった。

 どこが、というのをごくかんたんに説明するなら、ひとつは精神的な事柄で、その都度その都度なにか新しく違うことをやらないと自分の気が済まない、という創作者魂と、まあ、言ってみれば真面目さとユーモアが混ぜこぜになったところ。
 もしも、ベートーヴェンに、「第九」のあの「歓喜の歌」の理想と、「失くした小銭への怒り」の両方がなかったら、ぼくはもっとずっと彼のことが苦手だったと思う。それにもし、「第九」のフィナーレにあの唐突なトルコ行進曲のくだりがなかったら、かの巨大な曲の魅力はかえって台なしにみえる。

 もうひとつは、メロディーラインの簡明さで、「ロックンロール」のコーラスのところを聞いていたら、「歓喜の歌」の節がいつのまにかかぶってきた。考えてみたら「ばらの花」だって、サビのメロディーの下行するところがちょっと似ている。そう思ってみれば、すごく似ている。メロディーはそうして口伝えに、みんなのものになっていくのだろう。

 そんなこんなで、「くるり=ベートーヴェン」説がぼくの周囲ですらもまったく広まらないうちに、くるりそのものはウィーンで『ワルツを踊れ』というアルバムをレコーディングして、最初に「ハイリゲンシュタッド」という曲を置いたりして、これはもう、まいっちゃうな。シングルで先に出た「JUBILEE」という曲を、ぼくはそのときもそれからも、どれくらい聴いたかわからない。

 さて、「第九」といえば、「最後のメリークリスマス」という曲が、くるりのたしか15周年の記念にリリースされて、ここでは「歓喜の歌」がさらりとやさしく重ねられている。半音をゆらゆら揺れる歌い出しは、世代のせいか、すぐにサザンオールスターズのヒット曲をぼくに思い出させたけれど、それ以前にベートーヴェンのバガテル「エリーゼのために」のほうに近いものなのかも知れない。

 曲の消えゆく先は、「歓喜の歌」の原語コーラスだ。これが歳末の夜、商店街のはじで口ずさまれているみたいで、とてもいい。この曲が『THE PIER』にalbum editで収められたときには、すぐ後に「メェメェ」というトラックが続けられていて、メリーだから→羊→だからメェメェなのか?? と思うまもなく終わると、「There is (always light)」という締めの曲がどっしりとやってくる。

 そういうところがすごくベートーヴェンらしい、と思うんだけど、もちろんぼくが勝手に引き寄せているだけかもしれない。

 それでもひとつ言えるのは、ベートーヴェンがちょっと苦手だと思っている人も、たとえばこういうふうに迂回していくと、ひょっとして彼のことが好きになるかも、ということ。ぼくもそんなふうにして少しずつ、親しみをもつようになっていったところもあるから、まったく的外れなことではないと思うな。
 で、「第九」のフィナーレの、あのトルコ・マーチでの、猿のおもちゃが叩くようなシンバルを好きになれない人は、やっぱりベートーヴェンとは上手につき合えないでしょう、と言いたいです。ほんとは。
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