ヴィオラ・ダ・ガンバの新しい旅- パオロ・パンドルフォ『トラヴェル・ノーツ』

ヴィオラ・ダ・ガンバの新しい旅- パオロ・パンドルフォ『トラヴェル・ノーツ』

CD◎ ⇒travel notes paolo pandolfo (viola da gamba) (GLOSSA)
  • 青澤隆明
    2020.04.30
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 音楽を聴くと、どこかに出かけたくなる。聴いた音楽がぼくのなかで暴れ出すように、どこかへ足を運ばせていく。ほんとうは音楽のなかでどこかを旅したはずなのに、聴きおえてもその旅がおさまらない。旅の続きを探し始めるみたいに。そもそも、音楽を聴きおえる、ということってあるのだろうか。

 けれど、夢のつづきが、またべつの夢になってしまうように、そのままつづきを夢みることはできない。さきほどまでぼくを包んでいたはずの音楽は、いまやぼくのなかに響いている。もういちど、窓を開け放つように、それをぼくの外に放って、そのなかで、つづいていく。

 音楽を聴くことは旅だし、音楽を旅するのが聴くこと。自然にそういう気持ちを広げたいときには、パオロ・パンドルフォのヴィオラ・ダ・ガンバがうってつけだ。この楽器の響きが雲のように流れていくのを聴いていると、自分の心が液体にも気体にもなるように感じられる。

 “travel notes”という2003年録音のアルバムは、‘new music for the viola da gamba’と記され、いつもは古楽とかearly musicとか呼ばれる時代の作品演奏を主とする音楽家が、ここでは新しく生まれる楽曲を演奏している。ヴィオラ・ダ・ガンバと、ときどきのトランペットや声やパーカッションが、簡素に空間を広げていく。つまりはパオロ・パンドルフォの自作自演アルバムなのだが、これを聴いていると、新しいとか古いとかではなくて、自然が新しくも古くもなくそこにあるのと似ているように思えてくる。

 もともと、音楽に新しいも古いもない。すべて新しく、すべては古い。それだけのことだろう。意匠と方法、知覚と認識が変化していく。新しいものはすぐ古くなり、古いものがまた新しくなる。パオロ・パンドルフォのヴィオラ・ダ・ガンバの響きを移ろう雲のように眺め、頬や腕にあたる風のように感じ、水のように掬い、土や樹の幹のように触れていると、ぼく自身がなにか大きな旅の一部分であるような気がしてくる。どこにでも行けるのに、どこにも行けないとき、たとえばいま、こうして自分の部屋のなかにいて、ぼくはそれくらい自由だ。
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