幻想的にみえてリアリズム -フリオ・コルタサルとアストル・ピアソラ

幻想的にみえてリアリズム -フリオ・コルタサルとアストル・ピアソラ

季節のうた。ブエノスアイレスの秋。あなたと本と音楽と。CD◎ピアソラ五重奏団『Piazzolla En El Regina(レジーナ劇場のピアソラ)』(RCA)
  • 青澤隆明
    2020.11.15
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 ブエノスアイレスへの憧れはつのるばかりだが、ぼくはまだ訪れたことがない。10代の頃からフリオ・コルタサルの小説になぜか異様に惹かれたり、アストル・ピアソラの演奏にぶっ飛ばされたり、もっと小さい頃から夢中になってきたサッカーの英雄たちの面々のことは言うに及ばずである。

 なかでも、ぼくの妄想を激しく加速させたのは、『百年の孤独』を出したガルシア・マルケスが同地を訪れたときに述べた一言だった。ブエノスアイレスに身を置いてみると、一見幻想的なコルタサルの小説が実はリアリズム的であることに気づいた--。ガルシア・マルケスはそう直観したというのだが、もしそれが現地のリアルな生の感覚ならば、ほんとうに凄いことじゃないか、とぼくは強烈に思い焦がれてしまった。

 さて、秋である。ということは、南半球のブエノスアイレスは春である。ピアソラの『四季』のなかで、新しく書かれたのが冬と春で、その冬がやはりいちばんたまらないのだが、こう冷え込んできたなかで春のことを考えるのはこちらでは少々不自然で、となれば地球をひっくり返しても「ブエノスアイレスの秋」のことを思うようになる。たちまち脳裏に鳴り響くのはもちろんピアソラ五重奏団の音で、もっと言えば1970年、レジーナ劇場のコンサート・ライヴだ。想いはたちまち加速する。

 そういえば、コルタサルはどうしてもあの「追い求める男」のイメージが強烈で、パリの陰翳も色濃いから、これまでピアソラをじかに連想することはなかったのだが、こうして改めて聴いていると、ピアソラ・キンテートの無敵の猛者たちはそれこそ凄まじく幻想的な飛翔をくり広げるし、どこまでがここなのかわからなくなるから、それこそコルタサルの小説世界にぴったりな気がしてくる。
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