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「天才の愛」の響き - くるりの新作のこと(青澤隆明)

「天才の愛」の響き - くるりの新作のこと(青澤隆明)

くるりの新作『天才の愛』には、クラシック、古楽や実験音楽が好きなリスナーにも、ぜひ耳にしてほしい響きがある。そして、ロックバンドくるりのファンには、古楽やアメリカ実験音楽も楽しく聴いてほしい、という話。◎くるり『天才の愛』(Victor Entertainment)
  • 青澤隆明
    2021.04.30
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 くるりの新作アルバムがリリースされた。『天才の愛』、傑作である。

 アルバムのことは他のところにも書いたので、ここではクラシック好きのリスナーの興味を掻き立てそうな試みについて、かんたんに述べておきたい。“古楽的プログラミング”とでもいうのか、それを手探りで感覚的に創り上げていった、くるりの新しい工夫について。

 オープニング曲「I LOVE YOU」のイントロから、新鮮な風が吹きこむような、不思議な響きがする。澄んだ浮遊感がある世界だ。ロックやポップの産業的フィールドではあまり聴きなれない音の響きというのか、じつに伸びやかなのである。

 クラシックのリスナーとしては、平均律ではなく古典調律で整えられたピアノを聴く感覚を思い出すかもしれない。そのように澄んだ響きをもって、音の空間が広げられていく。12等分平均律とモダンピアノは、機能性と合理性のロジカルなコンビネーションの象徴でもあるが、要するにあらゆる音程を不自然に押し込めることで成立している。

 平等などというのは、そもそも歪んだ思想なのだ。という主張に依るものではもちろんないだろうが、くるりがここで謳うのは「天才の愛」なのである。もちろん、深く考え出したというよりは、直観的に閃いた言葉なのだろう。リリックのどこにも、そうした直接の表れはない。しかしながら、「その決定項は誰の気持ちよ」という思いはつねに、あまねくある。

 さて、音律の話にもどると、それでも平均律が汎用されてきたのは、転調を含めた展開の幅が広く、それが表現と構築の可能性をもつと考えられたからである。ひとつの楽器にひとつの調律を採るならば、自然な音程を尊重するいっぽうで、全体のずれを解消する部分では音程が歪められることになる。ウルフと呼ばれる唸りに象徴されるように。つまりは、その楽器が採る調性や音程によって、自然と用いられる音づかいは制約される。たとえば、ピーター・サーキンはミーントーンで調律したピアノを好んで弾いたが、それによって響きづらい和音が出てくるのは自然なことで、つまりは調性によって曲を選ぶことにもなる。

 しかし、コンピューター・プログラミングならば、プリセットされた複数の音律のなかから、音程ごとに相応しい方法を割り当てて、その自然な響きを活用することもできるはずだ。くるりが最近の作品づくりで試みているのは、そうした細分化された割り当てによって、いわば音律をコラージュするように音像を組み上げることである。電子的な統御操作で、自然な倍音の広がりを求めるというのは逆説的な挑みでもあるが、それこそまさにくるりらしい冒険だと言える。

 しかも、それは音の響きを直感的に洗い直すうちに、結果としてそうなっていった成果なのだろう。絵具に喩えるならば、使える色をさまざまに重ねながら、多彩な絵具を溶く水のほうを少しずつ変えてみた、という調合である。おそらくは楽器を弾くときの、直感的で具体的な質感の快さから、その水質を洗い直すことに向かったと想像されるが、そうした身体的感覚から細かな作業を率直に積み上げたところに、くるりの『天才の愛』は訪れた。

 そうして、むかしアメリカの実験音楽で試みられた挑戦を、くるりは自身の感覚的な喜びにそって、ポップやロックのフィールドでいま手にした、ということになろうか。ヨーロッパ的な合理主義への反動が、新大陸の20世紀には早くからあった。しかし、くるりの場合をみれば、それはロジックやコンセプトという意味合いからではなく、やはり聴感上の悦びからくる野心とも言えるものなのではないか。深い意味はない、と言いそうなところにこそ、自我を超えて深い意味は宿ったりするもので。その前提や背景にはピッチ調整で加工された昨今の音楽パッケージに対する反動もきっとあるはずで、くるりの創作はプログラミングを駆使しながらも、いよいよ手作業のタッチを強めているように感じられる。

 もちろん、こうした響きのことだけではなく、新作では繊細なプログラミングはもちろん、カンツォーネを思わせる歌唱や、ファドを髣髴させる情緒など、くるりの音楽冒険が工夫を凝らし、しかしとても人懐こく、歌いかけている。

 どの曲にもそれぞれに惹かれるところは多く、そのそれぞれはばらばらに魅力的でもあり、くるりの風景として一連の港にも繋がっている。前作にも「その線は水平線」という素晴らしいナンバーが収められていたが、本作にも「潮風のアリア」と「渚」という、まさしく水際立った名曲がある。多彩な創意を鏤めた新作の画布のなかで、歌として岸辺に立つそれらの姿はやはり、強く、脆く、美しいと思う。
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