水着と鍵盤 - 執拗と持続のボレロ [Ritornèllo]

水着と鍵盤 - 執拗と持続のボレロ [Ritornèllo]

そして、ボレロについて、ラヴェルが語ったことなど。
  • 青澤隆明
    2020.01.08
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 ――この主題にはどこか執拗な性質があると思わないか?
 束の間のヴァカンス、水着姿のラヴェルがピアノを指一本で弾いて、友人のギュスターヴ・サマズイユにたずねる。
 ぼくはこれを何度もくり返そうと思うんだ、なんら展開はさせず、オーケストラを少しずつ膨らませながらね。
 
 1928年の夏、サン=ジャン=ド=リューズでの出来事である。ラヴェルの伝記ではたいてい紹介される、ボレロの作曲にまつわるエピソードだ。もちろんエシュノーズの小説にも出てくる。
 
 アメリカから帰ったラヴェルが、イダ・ルビンシテインのバレエのために、スペインものの編曲ではなく、自分でつくった「スペイン=アラビアふうの主題」のことである。私たちの耳にはもう長いこと粘りついて離れない、お馴染みのあのフレーズだ。「ファンダンゴ」と呼ばれた曲の題名は、ほどなく「ボレロ」に替わり、この5か月後にバレエはパリ・オペラ座で初演された。
 
 ラヴェルは後に告げるだろう――これは、きわめて特別に限定された方向の実験であるにすぎない、と。初演の前に、私は警告しておきました、私の作曲したものは17分間続く、音楽のないオーケストラの織物だけで成り立つ、非常にゆっくりと拡大していくひとつの長いクレッシェンドでできた曲なのです。

 ラヴェルのボレロは、ピアノで言えば白鍵ばかりのハ長調で書かれ、終盤にきて突然ホ長調に転調するだけだ。執拗な反復といえば、『夜のガスパール』の「絞首台」もまた決定的なものとして思い出されるが、こちらのピアノ曲は♭6つの変ホ短調。反復の連打は変ロ音である。明快でリズミックなボレロの陰画としてみるならば、異様に凄絶なコントラストだ。
 
 「心はアイディアでいっぱいなのに、いざ書き留めようとするとそれは消えてしまう」と、最晩年のラヴェルはアンセルメに打ち明けたという。長年の不眠症と、ときどきの神経衰弱に重ねて、ラヴェルの心身を苛んだのは、1932年10月のタクシー衝突事故の直接の打撃ではなく、翌夏からの突然の健康状態の悪化だった、とアービー・オレンシュタインの伝記などは述べている。

 さて、音楽なしでオーケストラ曲をつくるボレロのこの実験のあと、ラヴェルはただ、双子のように同時期に作曲した2つのピアノ協奏曲と、オーケストラもしくはピアノとの歌曲集『ドゥルネシア姫に思いを寄せるドン・キホーテ』を完成させるばかりだ。それらの歌は、スペインやバスクのリズムに彩られている。『ジャンヌ・ダルク』から構想したオペラは実らず、『ドン・キホーテ』がラヴェルの白鳥の歌となった。

 
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