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空白の日記と新しい光彩--キット・アームストロングが弾くバードとブル

空白の日記と新しい光彩--キット・アームストロングが弾くバードとブル

“William Byrd・John Bull - The Visionaries of Piano Music” Kit Armstrong (piano) [Deutsche Grammophon 2021]
  • 青澤隆明
    2022.12.09
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 先にここに記してから、だいぶ日が空いてしまった。そう遠くはない一日でも、もはや思い出せない日もある。なにもなかったはずはないとして、たいしたことはなにもなかった、というふうに思えば、その日は空白のまま記されることなく過ぎる。そうして、朝は朝、夜は夜、日は日としての輪郭を失ったまま、大きく口を開けるように経っている。一日が一日のかたちをなしていたのかもわからず、体をなさずに繋がったり、重なったり、破れたりして、それでなんとか日々が捲られていたというふうに感じることもある。ほぼ連日コンサートに行っていたことを思い出せば、その日どんな音楽がどんなふうに響いたかを改めて考えることもできるだろう。いろいろなことがあったり、なかったりしたが、ぼくはそこそこ元気で過ごしてこられた。日記が日記の体をなさずとも、ぼやけた日々にも、なにがしかの音楽は連綿と流れている。曲は曲のほうで、多くの歳月をまたいで、こちらの耳を訪れてくる。

 今朝は起き抜けに、キット・アームストロングが弾く、ウィリアム・バードとジョン・ブルを聴いた。もう600年以上も前に編み出された音楽が、真新しい光のなかに瑞々しく輝いているのもみるのは、幾度聴いても眩い体験である。ピアノのための音楽が、こうして遥か以前に予見され、しかもこれほど豊かに結実していたことに、改めてはっとする。そのためには、かの偉才、ウィリアム・バードにしてもジョン・ブルにしても、モダンピアノを待ち、キット・アームストロングを待ち、彼がヨーロッパ音楽の歴史の地平に立つのを眺めつつ、私たち現代の耳を待つことが必要だった。

 ここには喜びがある。宇宙は精緻にして実に広大で、そしてここから始まっていくという予感と期待と高揚がある。豊潤に絡み合うテクスチャーを息づかせながら、ピアノがピアノとして流麗かつ闊達に響きを織りなすさまは、嬉々として未来を信じるに足るものにする。遅れてやってくるということは、それだけの可能性を連れているということでもある。新しくやってくる者にとっては、かつて新しかったものは、やはり新しく触れられるはずのものであるということだ。現在に流れ着くまでの時間に試みられた膨大な遺産を財宝として、その地平から新しく勇気の手を延ばしたときにこそ--。キット・アームストロングは確信をもって、慈しむようにそのことを証ししている。回顧ではなく発見の感動が、そこから沸々と聴く耳を目覚めさす。
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