Englishman in Kawasaki, Paris & New York -ジョナサン・ノットと東京交響楽団のフェスタ サマーミューザ KAWASAKI 2021(青澤隆明)

Englishman in Kawasaki, Paris & New York -ジョナサン・ノットと東京交響楽団のフェスタ サマーミューザ KAWASAKI 2021(青澤隆明)

フェスタ サマーミューザ KAWASAKI 2021「東京交響楽団オープニングコンサート」 指揮:ジョナサン・ノット(東京交響楽団 音楽監督) ピアノ:萩原麻未 (2021年7月22日、ミューザ川崎シンフォニーホール) 三澤 慶:「音楽のまちのファンファーレ」~フェスタ サマーミューザ KAWASAKIに寄せて、ラヴェル(マリウス・コンスタン編):夜のガスパール(管弦楽版)、ヴァレーズ:アルカナ、ラヴェル:ピアノ協奏曲 ト長調 、ガーシュウィン:パリのアメリカ人
  • 青澤隆明
    2021.08.15
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 フェスタ サマーミューザ KAWASAKI 2021が、この夏も堂々と開催された。オープニング・コンサートにはいつものようにここを本拠とする東京交響楽団が、昨年に続いて音楽監督ジョナサン・ノットともに登場した。昨夏に続き、と言ったが、2020年の夏、ノットはここにはいなかった。しかし、彼はたしかにここにいたのである。
 事前に収録した指揮映像でスクリーンに登場し、コンサートマスターのグレブ・ニキティンらが牽引する東京交響楽団とコラボレーションするという果敢な試みをしてみせた。ノットはもちろんリアルタイムでそのライヴ・パフォーマンスを見守り、ルツァルンからだったか、終演後にはぼくたち聴衆とともに拍手を贈っていた。そこに展開したのは、時間的、空間的な距離を超えた、指揮者とオーケストラの信頼に充ちた演奏、ノットと東響の「英雄」に他ならなかった。--ということは昨夏ここにも記したが、今年のジョナサン・ノットは生身の人間として、夏の川崎に帰ってきた。この4日前の東響定期公演でのシュトラウスとシベリウスも秀逸だったが、フェスタには祝祭に相応しく、沸き立つようなプログラムとともにやってきた。

 開幕の宣言は、三澤慶がフェスタのために作曲した「音楽のまちのファンファーレ」。ノットがタイトな指揮に力を籠めて、高らかな響きを導く。昨年の指揮者なしも伸びやかないい演奏だったと思い出されるが、ノットが指揮をすると、はるかに引き締まって、かくも力強い意志が伝えられるのだ。
 そしてメインは、アメリカとフランスのダブル・セレブレーションともいうべきプログラム。独立記念日と革命記念日はともに過ぎたばかりだが、いずれ同じ7月の出来事である。パリとニューヨークの二大都市が芸術に大きな力を与えた時代のストーリーが、聴き手の目の前で鮮やかに織りなされていく。かなり欲張りで多彩な構成であるうえ、鮮やかな連想とコントラストが籠められている。
 具体的には、パリとニューヨークの往還と交叉の情景だ。出会いの祝祭というに相応しく、ラヴェル、ガーシュウィン、ヴァレーズの作品を一堂に会し、偉才たちの多様な創意を柔軟かつ鮮明に描き出していった。
 まずはラヴェル1908年の「夜のガスパール」を、マリウス・コンスタン1990年の管弦楽編曲版で色づけた。ピアノ原曲に馴染んだ耳には、現代風味をまぶしたハーモニーの工夫もそう効果的には映えず、なによりもがたいが大きくなる分、原イメージの冴えやかな運動感が活かされてこない。ラヴェル自身がオーケストレーションの構想を抱いていたという話だが、ラヴェルはやはり誰よりも圧倒的にラヴェルなのである、ということを逆説的に感じさせる編曲だった。

 そこからはいよいよ戦間期の音楽沸騰のただなかへ。ヴァレーズの「アルカナ」は1925年に着手、ラヴェルのピアノ協奏曲は1931年の作曲、そしてガーシュウィンの「パリのアメリカ人」は1928年に初演された。いまから100年ほど前の音楽の高揚が、しかし郷愁ではなく、モダニズムの鋭気と洒脱なエレガンスをもつ演奏から、まざまざと伝わってくる。
 打楽器も壮観な巨大編成をとる「アルカナ」は、壮大な音響とパッサカリアの形式を結んだ一種の錬金術的独創だが、ノットは粗暴さを追わず、エレガントな身振りを宿していった。
 「自分の生きている時代を解釈する、それがモダンであるということだ」とヴァレーズは言ったが、その矜持はこれと対照的に小編成で効果的な書法をとるラヴェルの晩年作にも、ガーシュウィンの躍動する旅行記にも通じる。
 ノットの指揮は、ラヴェルの協奏曲では萩原麻未の色濃いピアノに寄り添いつつ、弦の柔らかな陰翳も巧みに抽き出していた。ガーシュウィンでは芸術の都パリとアメリカの夢が美しく重なるように、明快で活劇的な語りを活かし、響きの潤沢さ、機敏でしなやかなリズム、伸びやかな色彩を揮って、生き生きと温かく多彩な情景を描ききった。
 難大曲や協奏曲を経て、オーケストラもここへきて、ぐっと手の内に入った余裕をみせた。遊び心をもつ冴えたソロも次々と飛び交う。聴き手にしても、大旅行の果てに、魅惑の街歩きを楽しむ風情。なのに、その新鮮な響きには随所に驚きもある。一般的に用いられてきた改訂稿ではなく、ガーシュウィン1928年のオリジナル・ヴァージョンによる稀少な演奏の模様。1920年代後半から30年代に入るまでの数年間の時代感により接近した原像を、ノットらしくまなざしたわけだ。
 
 かの英国人はそうして川崎で、東京交響楽団とともに、パリとニューヨークを鮮烈に闊歩していった。もはやどこが異国でどこがそうでないのかもわからないように、沸き上がる音楽は夏の白昼の夢のごとし。ノットと東響の熱き夏の再会は、パリ-ニューヨークの戦間期の幻想をいまに脈動させる、いきいきと眩い体験をひらいていった。
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