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冬のグリーグ - 北村朋幹の「抒情小曲」を想う

冬のグリーグ - 北村朋幹の「抒情小曲」を想う

北村朋幹 ピアノ・リサイタル Tomoki Kitamura Real-time Vol. 3 “Cage & Grieg”に寄せて
  • 青澤隆明
    2021.12.29
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 あっという間に、年の瀬。11月にはヨーロッパのピアニストもいっぱい聴けたし、特別に心に残る演奏会もあった。まだまだ時間はかかるけれど、ぼくの心に少しずつでも、音楽が戻ってきた感があった。もちろん、音楽はどこにも行ってなどいなかった。思い出しさえすれば、いくらでも内から溢れてくる。それでも、新しい出会いとなれば、外に出ないことには起こらない。

 そんなこんなについて、この音楽日記に綴りたかったが、どうやら気持ちが忙しすぎたようだ。気がつけば、もうあと何日かで2021年も過ぎようというところ。空気もやけに冷え込んできた。こうした冷たい空気のなかで、あたたかな場所に出かけて、聴きたかったなあと思う音楽もあった。それはできるだけひっそりと語りかけられるほうがいい。

 さて、11月をなんとか走りぬけて12月に入ると、海外からの渡航の制限や措置が急変して、かなり多くの演奏家たちの来日が難しくなった。そのなかで、ひっそりと演奏会を行うはずだったピアニストの北村朋幹も直前で渡航を断念し、愛すべきムジカーザという小さな空間での自主リサイタルで、ケージとグリーグを演奏することがこの冬には叶わなくなった。

 冬の澄んだ空気は、グリーグの抒情小曲の響きが伝うのにぴったりだ。ほかに演奏される予定だったケージのプリペアドピアノ作品にもふさわしいかったろう。しかし、自分が聴けなかった演奏、起こらなかった音楽を想うこともまた、ぼくにとっては聴くことの大切な一部だ。

 北村朋幹の「Real-time vol.3」として、12月23日と24日に予定されていた3つのコンサートは、来春3月に延期されたが、冬と春とではまた心の持ちようも違ってくるだろう。しかたないこととはいえ、残念に思っていたところ、その日の夜、ふと思いがけず、グリーグの『抒情小曲集』から6つの曲を弾く映像が上げられて、ベルリンでの彼のピアノ演奏が自分の家に届けられることになった。北村本人のYouTubeチャンネルというものがあることを、ぼくはこの機会にはじめて知った。

 北村朋幹がひとりきりで長く温めてきた音楽は、ここで弾かれたグリーグの抒情小曲に、あたたかく、そして内密な情感を通わせて、ぼくたちひとりひとりの部屋を訪れる。そのピアノは人懐こく、温かく、どこかしら頑固に素朴で、とてもいい音がする。

 冬には冬の思念がある。春には春の心がある。どれだけ親密に、澄みきっていられるかは、ぼくたちの気持ちしだいでもある。ここで北村が弾くグリーグをひっそりと聴いていると、それは叶えられる気がする。
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