月がきれいですね。-カペルとラジオとスーパームーン

月がきれいですね。-カペルとラジオとスーパームーン

ことしいちばん近い月をみながら。CD◎ウィリアム・カペル "Complete Recordings 1944-1953" から。
  • 青澤隆明
    2020.04.08
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 こんやは月がきれいですね。と、誰もいない通りに囁いた。すべてを見渡す満ちた月が、冴え冴えと夜空に浮かび、静けさはさらに静けさを増すように澄んでいる。
 
 それから家に帰って、しばらく経つと、月はもうだいぶ降りてきて、ぼくの窓からも、くっきりと拝める。とても遠くは、かえってとても近い。月は遠くにあるけれど、それでもこんやはぼくたちの星にいちばん近い。いっぱいに満ちてきて、もうすぐまんまるになる。

 音楽はいらない。けれど、そう言えば、とふと思い立ってかけてみたのが、どうしてどうして「月の光」である。あまりにも安易だし、こんやぼくがみている月とはずいぶん違う。月の光ではなく、光をためた月そのものをみるのだし。それでも、こうしてあらためて、恥ずかしげもなく「月の光」なんてかけて、それが尊く思えてくるのは、弾いているのがウィリアム・カペルだからだろう。その響きは、温かいのに冷たくもある。凛として、澄ましている。顔を洗ったばかりの月のように。

 ウィリアム・カペルの月は、人々の感傷と関係なく、空高く昇っている。降り注いでくる光ですらそうだ。

 それで、ぼくがこれを書いておこうと思ったのは、こんやの月がきれいだという記念だけでなくて、カペルのこのレコーディングがラジオ放送のためのもので、その質感が面白いからだった。電波のざわざわしたノイズにまじって、誰かがずっと喋る声が紛れ込んでいる。おそらくピアニストのときどきのうなり声も聞き取れる。曲が終わると、女性の咳払いも三度、近くで響いてくる。いっぽう遠くでは、混線気味の男性の話し声が音楽の背後に、ドビュッシーとは無関係に通奏されている。いかにも放送や無線のタッチで、それがどこかSF映画ぽい宇宙的な距離を感じさせる。1953年7月28日、メルボルン・タウン・ホールでの録音と記されているが、確かに20世紀の出来事をまざまざと伝えるものだ。ウィリアム・カペルが飛行機事故で亡くなる3か月まえのことである。

 月と光とピアノとラジオと。そのあとは、ただ灯かりを落として、窓から満月を浴びるだけ。
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